再び南へ(この秋の記録)。

 大阪からレンタカーで紀伊半島をぐるりと回った10月の連休のお話。ここんとこほとんど毎週末毎一緒に過ごす友人が和歌山県の南の端の出身で、彼がどうしても行きたいというので、ひょこひょこ付いて行った。9月の台風12号により相当被害を受けたので、その様子が気になったとのことである。本当はボランティアでもできればよかったのだが、今回は時間がなくて断念した。断念しているところが情けないが、現地でお金を落とすことも何より大切なはず、と自分に言い訳をする。

 友人と、友人の姉と、友人の姉の友人と、私、という謎の組み合わせ。レンタカーで華麗に出発。連休中だったが、白浜の直前で少し渋滞した他は順調に進む。昼過ぎに串本の民宿兼食堂で食したマグロ丼は最高だった。食後、お店に置いてあった地図をみながら、ようやく予定を検討することにする一同。とりあえず、和歌山の端の新宮まで突っ走ってから那智にも立ち寄りつつ、友人と友人の姉の出身の古座川の民宿に泊まるということで落ち着く。

 キラキラと光る海を眺めながら国道42号線をひた走る。車から見る景色は1ヶ月前の台風の被害なんて嘘のように穏やかだった。お気楽な話でわいわいと騒ぎながら(まあ、騒いでいたのは友人と私だけだったが)新宮まで至る。熊野速玉大社、大逆事件の慰霊碑に立ち寄り、すっかり普通の観光気分。ただ、熊野川の川岸の工事現場に橋桁に引っかかったままの大木と、観光協会の窓口の2名と我々の他は誰もいない新宮駅にひっそりとやってくるJR振替輸送のバスだけが、被害があったことを辛うじて思い出させてくれる程度で。

 日が傾いて険しい山の間に沈もうとする頃。新宮から那智勝浦まで至り、那智の滝の方面へハンドルを切れば、そこは驚く程に別世界だった。決して幅が広くない川だったらしきところが、大量の岩に埋もれている。川沿いの国道は所々が崩落し、普通に家があったと思しきところは瓦礫の山。これまでの長閑な観光気分はすっかり吹き飛び、しばらく呆然とした。もちろん、ニュースを見る限りの範囲内でわかっていたはずだったのだが、現地に来なければ何も理解できないのだということが、逆によくわかった。

 那智の滝は、さすがの観光地で、かなりの数の観光客を集めていたこともあり、少しの安堵を感じる。滝の位置が変わったというものの、初来訪だったのでよくわからなかったが、滝壺に落ちた大木が物語る。那智大社にて現地の人と話したところ、土砂が崩れて神社のかなりの部分を埋め尽くしたらしい。土砂に埋もれた那智大社は全く想像できない程に回復していたから、ここまで戻すことに、かなりの努力を要したことだろう。
 被害が大きかったところで少しでも多くのお金を使おうということで、那智川沿いの温泉でお風呂に浸かる。温泉の中にはボランティアで来ていらっしゃる方も多く、湯船で話を聞く。泥かきは本当に重労働だろうし尊敬する。温泉の窓口で購入した鯨油石鹸の個性的な香りのせいか、少し眩暈がする。

 古座川町の民宿に荷物を押し込みつつ、近所の唯一の居酒屋で晩御飯をいただく。刺身はもちろんのこと、煮付けや焼魚も絶品である。この辺りも床上まで浸かった家々も多かったとのこと。おいしいお酒をいただきながら、地元のおいしいお魚をいただくことも、被災地支援であるはず、たぶん。この静かな川沿いの街は、被災したことが嘘のように平穏な空気が流れていた。今の私に確実にできることは、この事実を忘れないことと、余裕があったら募金することと、また足を運んで馬鹿騒ぎすること(次は自転車で行きたひ)。民宿に戻り、買い込んだ酒を消費しながら、いつものようにぐだぐだと夜が更ける。

 そして、南紀のソウルフード、めはり寿司。土産屋にあるような作り置きではなくて、小さな喫茶店のおっちゃんが注文を受けてから作ってくれたもの。これは最強に旨し。噂によれば、和歌山県の新宮市には、めはり教の総本山「タージめはール」があり、めはり教の信者が日々祈りを捧げながらめはり寿司を食い続けているらしい。今度行ってみることにしよう。