2011年、キューバ、サンティアゴ・デ・クーバ、その1。

 ハバナからバスで15時間、キューバ島の東の端にサンティアゴ・デ・クーバ(Santiago de Cuba)がある。キューバ革命の契機となったモンカダ兵営や、メキシコに逃亡した革命軍が再上陸を果たしたシエラマエストラ等、キューバ革命の歴史を紐解くうえでは避けられない固有名詞は、この地域にたいへん多い(知らん奴は自分で調べろ!)。ハバナからはViazul社のバスが毎日運行しているのだが、まずチケットを買うのに苦労させられる。バスのオフィスは旧市街からタクシーで片道15分程かかり、タクシー代はCUC払いで決して安くはないので、オフィスまでチケットを買いにだけ行くことはめんどくさい。ただ、ハバナには、なぜか、ツーリストが集まる都市には必ずあるはずの旅行代理店というものがほとんど存在していないのである(2011年現在)。Casaのお母さんの頼りない情報を頼りに大きなホテルに行ってみたら、航空券は扱っているが、バスは無理だということ。さらに、ツーリストインフォメーションに行って、さらに頼りない情報を頼りに別のホテルにも行ってみたが、そこも同じ反応である。旅行代理店は間違いなく需要があると思うのだが、なんでだ。

 どうせなんとかなるだろうと思って、バスの時間だけ確認して予約なしで突入する。15時発の便に合わせて、14時にViazul社のオフィスに行ったところ、あえなく満席で撃沈。21時発であれば空席があったので、予約だけして、重いバックパックを担いで泣く泣く旧市街に引き返した。そこで捕まえたタクの運ちゃんは陽気な奴で(というか、陽気でないキューバ人に出会うことはなかったが)、僕の懇親の片言スペイン語ギャグに爆笑していたので、まあ、よかったこととする。後で知ったのだが、ネットでも予約を受け付けているらしい。まともに機能しているかどうかは未確認だが。

 20時過ぎ、懇親の片言スペイン語ギャグに爆笑するタクシードライバーを呼び出して、再びViazul社のオフィスへ。どんなボロバスが来るのだろうと期待していたら、リクライニングのしっかりした現代的なバスで驚く。15時間の長旅だったが、旅の疲れもあって、しっかり睡眠を取ることができた。昼前にサンティアゴに到着。ハバナからのバスは1日数便なので、サンティアゴのバスターミナルには、バスの到着に合わせてCasa Particularの客引きがわんさか待ち構えていた。一瞬で客引きに囲まれたが、なかでも一番押しの強かったお姉さんのところに決める。旧市街の中心部からは少し離れていたが、綺麗で、ルーフトップも使えて、朝食も美味しかったので満足である。

 サンティアゴは坂が多い。坂の上にある旧市街の中心部に立つと、海まで道が伸びているのが一望できる。旧市街の中心になるのは美しいカテドラルのある公園。ハバナよりも旧市街の規模は小さく、人も車も少なく落ち着いているし、日差しは強いし、そして、街の空気の濃密さみたいなものは、こちらの方が上だ。こういう街は歩いているだけで刺激的で、数日くらいすぐに経ってしまう。それでも全く飽きることがない。

 旧市街から歩いて30分程のところにあるモンカダ兵営はキューバ革命の最初のアクションを起こしたところとして知られている。現在では革命博物館となっているが、銃弾の痕跡をあえて残していて、これが生々しい。博物館の前で警備をしていた兵士が銃痕について丁寧に説明してくれたのだが、全てスペイン語だったので、ほとんどわからなかった。こちらがわからないのにも関わらず一方的にしゃべり続けるので、彼の熱意だけは伝わったよ。「グラーシアス」と言って、握手して別れる。

 そして、革命の街として有名なだけでなく、ここは音楽が殊更に盛んだ。朝から晩まで、街の中に音楽が溢れている。昼間は、旧市街の街角で流しのミュージシャンが奏で、夕方になるとカフェの前や公園でちょっとしたイベントが催され、夜はライブハウスで地元のバンドが深夜まで演奏する。ライブハウスは、歩き方に載っているような観光客向けのものでも、地元の人も多く遊びに来ていたりして、いつの間にかフロアではダンスパーティーが始まる。また、小さくて暗くて埃っぽい、本当にローカルのライブハウスにも足を運んでみたりもした。若いメンバーの多いバンドで、キューバ音楽にしては珍しくサックスが入ったジャズ的な要素を感じる音楽で、とても刺激的だった。この街で出会ったミュージシャンは、もちろん上手い下手はあり、ストリートとライブハウスではクオリティの差は歴然としていたが、演奏しているときはみんな心の底から楽しそうな表情をしていたことが印象的である。

 下の写真は、(いつものように)突然の豪雨に見舞われた後、散歩した雨上がりのサンティアゴである。雨が上がった直後の凛とした空気が好きだ。いや、決して雨男だから言っている訳ではなく。結局、あまりに居心地がよくて4日間をこの街で過ごしてしまったのだが、運よく出会ったメーデーの日の衝撃について、この次にじっくり書いてみる。