トルコ、ディヤルバクル、その1。

ゲワシュから、埃まみれの身体でワンの安宿に戻り、久しぶりのシャワーを浴びた。下水から漂う腐敗臭が強烈でも、シャワーを浴びられるだけいいじゃないか。正確に言えば、備え付けのシャワーは全く機能しなかったので、巨大なバケツに溜まったヌルいお湯を浴びただけだったのだが。その夜は長い停電があり、ロウソクの灯りを頼りに食堂で夕食をとる。本を読むこともできなかったので、早めに寝ることにした。

翌朝も「世界最高の朝食」をいただいたあと、素敵な経験を山ほどさせていただいたワンを離れ、ディヤルバクルという街に向かった。ワン郊外のバスターミナルから約6時間の道のりとなる。まずは、ワン湖に沿うように西へと走る。前日訪れたゲワシュ、アクダマル島を過ぎ、タトワンという街へ。崖崩れで片側通行の道を何箇所も通過する。これも地震の影響だろうか。

タトワンから山道を入り、途中のドライブインで昼食の時間だ。ラムの煮込みを美味しくいただき、「お勘定!」を覚えたてのクルド語で言うと、店員が感激してチャイを奢ってくれた。ちょうどバスが出発しそうだったので、ちゃんとお礼も言えないまま慌ててバスに乗り込む。バスの窓からドライブインを眺めると、先程の店員が満面の笑顔で手を振って見送ってくれている。こちらも必死に手を振り返しているままに、バスは再び西へと走り出した。

ワンからディヤルバクルへの道中、軍による検問が何度もあった。バスが突然停まったと思えば、軍服姿の兵士がバスに乗り込んで来て、乗客一人一人からIDを回収した。僕も焦ってパスポートを渡そうしたが、彼らはニコリともせず首を振る。典型的な東洋人は見逃してくれるらしい。兵士はバスを降り、回収したIDの照合を行なっているのか、そのまま10分ほど待たされる。バスの車掌がIDの束を受け取って、乗客へと返され、ようやくバスが出発する。1回毎の足止めはたいしたことないが、これが数回あったので、なかなかのストレスだ。バスは山を抜け、だだっ広いアナトリアの平原を走り、途中の街で乗客を入れ替えながら、ディヤルバクルに着いたのは、すっかり夕方になっていた。郊外の真新しく巨大なバスターミナルから、旧市街までドルムシュ(乗合バス)に乗り、古く黴臭い安宿に部屋を確保した頃には、すっかり日も暮れていた。

路上のケバブ屋台で簡単な夕食を済ませ、チャイハネで食後の温かいチャイを飲みながらテレビでニュースを見ていた。英語字幕もないローカルなニュースは、トルコ国内での爆弾テロのことを伝えていた。ぼんやりと眺めていると、テロの起こった場所の地図が映し出される。それは、今、僕がいるディヤルバクルのすぐ近くだ。なるほど、検問も多いわけだ。一時は落ち着きを見せたクルド人とトルコ政府との衝突も、隣国のシリア情勢の悪化を受け、再び不安定さを増している。しかし、この地域の素敵なクルドの人々と触れ合っていると、テレビの中のテロのニュースは、遠いどこか別の世界のことに思えてきがちだ。でも、この同じチャイハネの隣で座ってテレビを見ている親父も、チャイを持って来てくれた若い兄ちゃんも、そんなハードな現実の中で生きている。

ディヤルバクルの新市街は洗練された大都会であるが、城壁に囲まれた旧市街が残っており、今も昔もクルド文化の中心である。トルコ政府がクルド人を激しく弾圧していた頃、クルド人の抵抗運動が最も激しかったのはこの街だったと聞いた。翌朝、少し早く起きて旧市街を歩き回る。周囲を城壁で囲まれた旧市街の中は、石畳の細い路地が迷路のように入り組み、無数のモスクが点在している。中東の典型的な旧市街だが、マラケシュやイスタンブールのように観光地化されているわけではないので、裏路地には濃厚な生活感が漂う。城壁の東側にはチグリス川、その流れは遠くイラクのバクダッドを経由してペルシャ湾まで繋がっている。僕のような人間にとっては、そんな街を歩くことが何よりの楽しみだ。この街の地図を見るだけでわくわくしていたし、何日かかけてこの街をじっくりと歩く。そのつもりだった。だが、しかし。

アジアや中東の街歩きは多少経験があるつもりだが、どう考えても、この街の糞ガキは異常である。ここの糞ガキどもには堂々のワースト・オブ・ザ・ワールドを差し上げたい。この日は土曜日で学校が休みだったので、力をみなぎらせた子供たちが路地に溢れかえっていた影響もあるのかもしれないが、それにしても酷いのだ。例えば、以下の1~4のケース。1.男の子2人組と仲良くなったので、日本で買って持っていったパイン飴をあげた。袋を破き、2人とも目の前で地面に叩きつけて粉々にしやがった。2.「写真を撮れ」というので写真を撮る。「見せろ見せろ」と言うので、撮った写真を見せたら、デジカメのディスプレイに唾を吐きかける。3.路地を歩くと、かなりの確率で子供の集団に囲まれる。マネーマネーと言いながらポケットの中に手を突っ込んでくる。4.無視して歩いて行くと、後ろからずっと付いて来て石を投げてくる。石がデジカメに当たったので、本気で怒って振り向いたら、奴らは蜘蛛の子を散らすように消えた。

路地を歩いて、暇なガキどもに捕まるたびにいつもこんな調子で、多いときには数十人の糞ガキに追い回されるのだ。最初は状況を楽しんでいたつもりだったが、だんだんと嫌気が差してくる。一方で、ある程度成長すれば、みんないい人で、歩いているだけで何度もチャイやビールをご馳走してもらうのだが。なんなんだろう、この違いは。何にせよ、おもしろい街ではある。なかなかに疲れるが。

夕方になる。まとわりつく糞ガキを蹴散らしながら路地を抜け、旧市街を取り囲む城壁の上に登る。真っ暗な階段を登ると、旧市街が一望できる場所に出た。みな、チャイやタバコでくつろいでいるので、僕もいつの間にかその輪に入っていた。ぼんやりと日暮れ時の景色を楽しみながらおしゃべりしていると、旧市街に星の数ほどあるモスクから一斉にアザーンが流れ出す。夕方のアザーンにすっぽりと包み込まれた街を眺めるたび、どこかこそばゆくも懐かしい気持ちになるのだ。なぜか。旅もようやく折り返しに差し掛かった。