アンティグア。ビールを飲んでばかりいた帰り道。

パナハッチェルからいくつかバスを乗り継いで再びパンアメリカンハイウェイに立つ。しばらく待って、やって来たグアテマラ・シティに疾走するチキンバスに向かって手を振る。しかし、停まったバスの中は、身動きできないほどに人々がパンパンに積み込まれていた。大きなバックパックを担いだまま躊躇していると、乗務員に急かされ、慌てて乗り込んだら、すぐにチキンバスは走りだした。バックパックは乗務員が奪い取り、頭上の棚の隙間に無理やりねじ込み、僕は人で埋まった座席の間の通路に潜り込む。そして、チキンバスは、くねくねとした山道を全速力で駆け抜けていく。カーブを曲がるごとに巨大な遠心力が、人の塊を右へ左へと揺さぶる。僕のすぐ隣には小さな女の子と若い母親がいて、子供にとっては相当辛いだろうなと思って見守っていると、案の定、口から吐瀉物が噴射された。幸い僕とは逆方向だったが、どこかのおっさんの上着にべったりと付いたそれを、母親が無表情に拭き取っている。グアテマラにおいては日常的かもしれない、そんな苦行が1時間ほど続き、チマルテナンゴという街でようやく解放された。ここで乗り換えたチキンバスは空いていて天国そのもの。のどかな田園の中をのんびり走ると、まもなくアンティグアに着いた。

アンティグアは、この旅で訪れたどの街よりも落ち着いているように思う。中心部には広場と美しいカテドラル、少し煤けた原色の壁を持つ家屋、碁盤の目のように整備された石畳の道というラテン・アメリカの典型的な古都の条件を満たしていて、ふらふらと歩くだけで素敵な光景に出会うことができる。街の一角には外国人向けのショップやレストランが集まっていて、グアテマラ随一の観光地ではあるが、静かな田舎町としての雰囲気も十分に残っている。

街をひとしきり歩いたあと、それでも腰が落ち着くのは、街の外れにある雑多なメルカド(市場)だった。簡素な屋根の下には小さな店が集められていて、食材から衣服、小物までカラフルな商材が通路を埋め尽くすように並べられているが、あまり人通りが多くなかったのは休日だったのか、もともとそんなものなのか。ここではツーリストの姿を見ることは少ない。安い地元向けのバーがいくつかあって、太陽の高い時間から親父がカウンターに座って赤い顔でビールを飲んでいる。僕もカウンターに座り、ビールを注文する。からっとした太陽に背中を押されたせいだという言い訳だけを残し。

そして、ついに帰国の日になった。早朝4時、予約していたシャトルバスでアンティグアからグアテマラ・シティの空港へと向かった。チェックインの手続をすると、窓口の女の子に「今日はロング・ジャーニーね」と言われる。そう、グアテマラ・シティからロス・アンゼルス、ロス・アンゼルスからホノルル、ホノルルから大阪の3本を乗り継ぐのだ。そして、なぜか帰路は、ホノルルに1泊という謎のスケジュールである。自らそれを望んだわけではなく、関空に戻るにはホノルル経由の便しかなかったのだから仕方がない。アンティグアを出発してから20時間でホノルルで、予約していたユースホステルに辿り着いた。フロントの女の子に「どこから来た?」と聞かれて「グアテマラ」と答えるとまず驚かれ、「いつチェックアウトする?」と聞かれて「明日の朝」と答えると怪訝な顔をされる。いや、僕も好きでこんなスケジュールにしたんじゃないよと言いたかったけれど、面倒臭かったのでぎこちない笑顔で誤魔化した。部屋はドミトリー。同部屋のサーフィン好きの男の子と同じ問答を繰り返し、全く同じ反応が返ってくるのを楽しむ。

自分がリゾート嫌いなのもあるだろうが、ホノルルには何の感慨も受けることはなかった。せいぜい滞在12時間やそこらでそんなことを言われても、ホノルルとしても迷惑だろうけど。宿で荷物を下ろし、折角なのでハワイアン料理を食べようと出かけても、夜が遅かったからか、ピザ屋やバーしか開いていない。ようやく見つけたイスラエリーの屋台でファラフェルを買って帰った。しかし、ホノルルには最高に旨いビールがあり、僕はここでもそれに手が伸びるのだ。日本でも人気のコナ・ブリュワーズは、ホノルルではどこの店でも手に入る。コクのあるBrown Aleがお気に入りで、湿気の多いここの気候にことさらよく合うのだった。ファラフェルをあてに宿で数本開け、さらに翌日の朝ご飯代わりに、もう1本。そして、ホノルルの空港で、まだまだ遙か海の向こうにある大阪に思いを馳せつつ、コナ・ブリュワーズのビールをごくごくと飲みながら飛行機の出発を待った。あと10時間で、日本だ。

パナハッチェル。それと、何もない小さな湖沿いの村。

アティトラン湖は、富士山のような美しい左右対称の成層火山にいくつも囲まれた大きな湖である。その中心となるの街がパナハッチェルで、クリスマスの時期は当然の如くツーリストが多い。美しい風景と暖かな気候と安い物価は、リゾート好きの白人旅行者を惹きつけるだけの必要十分条件を満たしている。繁華街は夜遅くまで賑やかで、人通りが絶えることはない。そこから少し離れたところに、日本人が経営するEl Solという宿があり、すっかり風邪をこじらせた僕はしばらくそこに滞在した。清潔なベッドだけでなく、お湯をなみなみと張った湯船まで備えてあるので、快適過ぎてなかなか離れられない。その間に風邪をしっかり治すことができればよかったのだが、宿で知り合った旅行者と一緒に昼からビールに手が伸びるので、どうしようもなく体調管理は諦めた。何かを取ることで、何かを失う。そして、グアテマラの旨いビールはここでしか飲めないのだ。

眩しい太陽の光を受けてキラキラと輝くアティトラン湖をボーっと眺める以外に、この街でできることは少ない。必然的にパナハッチェルの外に足を向けることになる。湖の周囲には小さな村が点在していて、旅行者向けに開発されているものがあれば、そうでないものもある。僕が訪れたのは、パナハッチェルから乗合トラックの荷台に乗って10分程行ったところにあるサンタ・カタリーナという村だった。ここは山の急斜面に沿うように家々が広がっている他は、基本的には何もない。家と家の間を縫う細い坂道を登り、村の人たちと出会うというただそれだけだが、浮かれた旅行者が屯するリゾートよりもよっぽど楽しい。そういえば同じ宿にアティトラン湖を歩いて一周した強者がいて、そんな無茶を正直羨ましく思いながら、僕はゴホゴホと咳き込みつつもビールを飲むのだった。

チチカステナンゴ。祈りの煙は立ち昇り、寒さで僕は風邪を引く。

チチカステナンゴは、南北アメリカ大陸を貫くパンアメリカンハイウェイを離れ、その北側へと山深く分け入ったところにある。この小さな村が賑わうのは、毎週日曜日に巨大な市が立つためで、その日は近郊の村々から多くの人が集まり、さまざまな品物が村を彩るそうだ。居心地のよいシェラを1泊で切り上げたのは、この日曜市を見たいと思ったから。2012年最後の土曜日、シェラからチキンバスを2本、コレクティーボ1本を乗り継ぐ(本当だったら、チキンバスは1本でよかったはずなのだが、なぜか遠回りしたようで、まあ、当時はそんなこと知る由もない)。チチカステナンゴに辿り着いたのは、夕日が遠くの山の遥か向こう側に沈み、残った日の光も消えようとする時刻。そして、移動中から頭痛と身体のダルさに苦しめられていた。完全に風邪だ。サン・クリストバル・デ・ラス・カサスのテント生活のツケが、ようやくここでやってきたという訳だ。標高が高いため、日を失うと空気は冷え、それが身体にじわりじわりと染みてくる。

たまには少しだけいい宿を選んで、久しぶりの熱いシャワーを浴び、すっきりとしたところで夜のチチカステナンゴを散歩する。村の中心にある、白い漆喰が美しいサント・トマス教会の周りには屋台が軒を連ね、近くの別の教会の隣にあるステージでは、学芸会のような催し物が行われていて、揃いの黒いシャツを着た若者達が、やたらと陽気な音楽に合わせ、いまいちキレのないダンスを踊っていた。賑やかな日曜市のことなど微塵も感じさせない、長閑な山合の村の静かな夜だ。

日曜日の朝。いまいち天気は優れない。重い体を起こして外に出てみると、サント・トマス教会の前は、すっかり店で埋め尽くされていた。日曜市は、この教会を中心として広がっている。ここは、マヤの時代から先住民族にとっての大切な信仰の場であっただけでなく、スペインの侵略によりキリスト教に強制的に改宗された後も、この教会を中心にマヤの信仰はしたたかに守り抜かれてきたという歴史がある。教会へと上がる階段には、お供えのための花売りで埋め尽くされ、祈りための煙は途切れることを知らない。

サント・トマス教会を中心として、通りという通りが全て店に埋め尽くされる。いったいどこから集まってきたのか、色鮮やかな布や、怪しげな壺や、わけわからんお面や、用途不明な小物や、今晩のおかずまでが一様に並べられている。そして、店と店との僅かな隙間を縫うように人々が行き来する。すれ違うことも困難な細い通路を、商品を大量に積んだリヤカーが駆け抜けていくと思えば、押し売りのおばちゃんが外国人を見つけるとわんさか寄ってくる。それは、僕のよく知るアジアの雑踏に似ているように感じるが、ふと、世界中のどこであっても同じような光景が繰り返されてきたのだと思い直す。

風邪を引きながら日曜市を歩き回った僕に、3日連続でチキンバスを乗る体力は最早ない。寒い土地を一刻も早く抜け出したかった僕は、午後には、外国人旅行者向けのシャトルバスを探し、席を確保した。標高の高いチチカステナンゴから一気に山を下れば、穏やかなアティトラン湖が見えてくる。目的地は湖沿いの街パナハッチェル。移動時間は僅か1時間半だが、シャトルバスを降りると感じるパナハッチェルの爽やかな暖かさに、思わず安堵の溜息をついた。

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