ジェニン。大虐殺の街の小さな劇場。

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翌日。今日も眩しい朝の陽の光の中、ナブルスから北へと向かうセルビスに乗り込んだ。満員の客を乗せたセルビスは、山をいくつか越え、あっさりと1時間ほどで比較的大きな街に着いた。パレスチナ自治区では最北端に位置する街、ジェニン。この街で最も名が知られる宿であるシネマ・ジェニン・ゲストハウスは、大通りから1本入った路地に面している。NGOやボランティアとの情報交換ができると聞いて楽しみにしていたこのゲストハウスに入ってみると、この日の宿泊客は僕一人だった。広々としたドミトリーとキッチンを独り占めできるのはいいが、やはり、少し寂しい。エルサレムで見かけたあれだけ多くの観光客はいったい何処に行ったのだろう。

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2002年、ジェニンの繁華街のすぐ隣に位置する難民キャンプに、イスラエル軍が無差別攻撃を行った。多数の市民が殺され、難民キャンプは瓦礫の山へと変わった。死者の数は、数十人というイスラエル政府から、数百人というパレスチナ自治政府まで開きがあり、真実は暗い闇に閉ざされている。しかし、その事件で確かに破壊された建物や車の瓦礫は、巨大な馬のモニュメントに形を変えている。難民キャンプの入り口に佇んでいるその馬は、あのときの記憶を今に伝える唯一のものだ。僕が訪れた晴れた冬の日の午後、ほとんど人陰を見ることもなく不自然なくらいの静寂の中、馬の肩口にある「救急車(AMBULANCE)」の文字が痛々しく映える。

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2006年、ジェニンの難民キャンプに小さな劇場ができた。フリーダム・シアターという名の劇場は、パレスチナの若い世代が何かを表現する場として、文化的な抵抗を標榜している。その一方で、劇場の創設者は2011年に何者かに殺害された。この街では、絶えず死と隣り合わせの状態が今も続いている。街の人に場所を聞いて、大通りを曲がると、フリーダム・シアターのある小さな広場に出た。劇場の中には人の気配はなく、扉には鍵がかかっている。広場で遊んでいた男の子が休みだよと教えてくれた。そう言えばこの日はクリスマス。仕方なく、劇場の隣の売店でチャイを頼む。外のベンチで柔らかな日差しを受けながら、温かく甘いチャイを啜りつつ、男の子とボールを蹴って遊んだ。

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夕方、ジェニンの中心街を歩いた。街で一番大きなモスクの周りには夥しい数の屋台が並んで、多くの人で賑わっている。これといって名物がある訳ではない、典型的な中東の小さな街。難民キャンプから離れてみれば、悲劇の名残は微塵も感じられない。日は沈み、屋台で買った焼き鳥を食べながら、おっちゃんと話をする。お互いの片言の英語では、本音は言語の壁を越えられていないけど、徐々に良い方向に向かっているのではないかという、おっちゃんの希望に近い思いは伝わった。誰もいないゲストハウスのドミトリーに戻り、好きな音楽を聞きながら好きな本を読み、少し寂しいけれど一人で過ごしたクリスマスの寒い夜。

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翌朝、再びフリーダム・シアターに向かった。今日は小さな扉が開いていたので、恐る恐る中に入る。「Welcome to Revolotion!」何処からか若い男の子の声がした。小綺麗な部屋のテーブルを囲んで、同世代の男女が5人ほど、少し深刻そうな話をしている。ちょっと居心地の悪さを感じていると、外から入ってきた一人の男の子が、それを察してくれたのか、僕を隣の部屋に呼び寄せた。彼はここで演劇を学んでいる学生だと言う。少し古いデスクトップのパソコンが並んでいて、その中の1台でyoutubeにアクセスする。まず見せられたのは「風雲!たけし城」だった。日本のテレビ番組は面白いよねと言って、世界中でやたらと人気のこの番組を荒い画質で嬉しそうに眺める彼。お互い笑顔で打ち解けてから、彼はフリーダム・シアターの映像を見せてくれた。彼らはヨーロッパ等の海外での公演を積極的に行っていて、彼自身もドイツに短期留学をしていたとのことだった。小さなパソコンのモニターの中では、ジョージ・オーウェルの「動物農場」や、グロテスクな表現を極めた「不思議の国のアリス」、さらにはコンテンポラリー・ダンスが鮮やかに表現されている。

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やがて、授業があるからと言う彼と別れを告げ、僕は劇場を出た。宿に戻る道の途中、空き地にたむろしていた若者の集団に声を掛けられた。ありきたりの挨拶に続いて、彼らの一人が携帯電話の画面に写った写真を見せてくれた。本物の銃を持って微笑む彼がいる。ゲリラをやっているのだと彼は胸を張って言った。どう見てもお金を持っているようには見えないけれど、何処からか温かいチャイを持って来てくれる。僕はそれを有り難く受け取って、その代わりに日本で買ってきた飴ちゃんをごっそり手渡した。なんと対照的なジェニンの二つの光景だろう。ジェニンでの芸術的な試みは、非暴力の抵抗という可能性を見せてくれた。それは、投げた石よりも、遥か遠くまできっと届く。でも、その一方で、そこから零れ落ちる人たちがいることにも心を向けていたい。知恵は力になり、それは、受け止める人が増えてゆき、いつか大きな実を結ぶと僕は信じている。

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