トルコ、イスタンブール、その3。旅の終わりに。

イスタンブールに戻ってきた。ネムルトダーゥの翌朝の早い時間にカッパドキアへと向かう二人と別れ、一人寂しくキャフタからシャンルウルファへとバスで戻り、さらにその翌日にシャンルウルファの空港からイスタンブールへと飛んだ。素朴な東トルコにすっかり慣れ切ってしまっていたので、イスタンブールの街のお洒落具合に少々緊張する。空港から地下鉄とトラムを乗り継ぎ、スルタンアフメット地区で安宿を確保し、さっそく散歩に出かけることにした。イスタンブールは、ボスフォラス海峡によってヨーロッパとアジアとに分け隔てられている。観光客の多いスルタンアフメット地区はヨーロッパにあって、そこから程近いエミノニュの埠頭からアジアに行く連絡船が頻発する。連絡船に乗れば、僅か10分の航海でヨーロッパとアジアを行き来することができるのだ。当然、僕の足は自然とアジア側へと向かうのであった。

アジア側にあるユスキュダルとカドゥキョイを散策する。アジア側といえども、もちろん、それだけで風景が劇的に変わることはないのだが、観光客の姿は比較的少なく、地元の人が集う下町といったところだ。カドゥキョイの少し北には、長距離の鉄道の終着点となるハイダルパシャ駅がある。アジアから鉄道で旅してきた旅人は、この駅に降り立ち、連絡船でヨーロッパ側に渡るのだろう。ボスフォラス海峡の対岸に霞むヨーロッパを眺めたときに、どんな感慨が沸くのだろうか。そういえば、10年前に初めてインドを一人で旅行したとき、知り合った旅人から聞いたシルクロードの旅の話がなぜだか今でも鮮明に記憶に残っている。中国、ウイグルからキルギス、ウズベキスタン、トルクメニスタンからイラン、そしてトルコまで、乾いた大地でさんざん埃にまみれた後で、イスタンブールからボスフォラス海峡を目の前にしたときの感動。東トルコを駆け抜けてきた僕にも少しだけ共有できるかもしれないと思いながら、久しぶりのビールを思い切り流し込む。

トルコ最後も、サッカーな夜だった。ベシクタシュとフェネルバフチェとのイスタンブール・ダービー。イスタンブールに本拠地を構えるガラタサライ、ベシクタシュ、フェネルバフチェのうち、アジア側にあるのはフェネルバフチェのみだ。この日の試合がベシクタシュのホームだったこともあって、アジア側の中心地であるカドゥキョイの飲み屋街はどの店も試合の中継を流していて、道いっぱいに溢れたフェネルバフチェのユニフォームを来た人々は誰も彼も試合に集中している。僕も、寒くなってきたにも関わらず、ジャケットの前のジッパーを開け、フェネルバフチェのチームカラーの黄色のTシャツを見せびらかす。落ち着いて観戦できそうな店に入り、ビールを飲みながらテレビの中の戦況を見つめる。

試合の内容自体は、残念ながら、ディヤルバクルで見たトラブゾンスポル・ガラタサライほどのエキサイティングなものではなかった。フェネルバフチェが再三攻めこむものの、ベシクタシュの堅守を崩すことができない。前半終了間際にベシクタシュのカウンターが決まり、街を埋め尽くした黄色の集団は意気消沈。後半になってもベシクタシュの守りは固くなるばかりで、フェネルバフチェに決定的なチャンスはほとんど訪れず、皆、頭を抱えるばかり。後半も30分を回ると席を立つ客も増えてくる。僕も、宿を取ったスルタンアフメットまで戻らなければならないし、連絡船の時間も不安だったので、2杯目のビールを飲み終えたところで宿に帰ることにした。港に行くと、ちょうどヨーロッパ側に向かう連絡船が出航することころ。慌てて船に飛び乗った。連絡船の甲板から感じる夜の空気は5月といっても物凄く冷たい。

ヨーロッパ側に戻り、スルタンアフメット方面へ行くトラムに乗り込むと、そのトラムは白と黒のユニフォームを来たベシクタシュサポでいっぱいだった。慌ててジャケットの前のジッパーを閉めて黄色いTシャツを隠す。満員のトラムの中で、陽気にベシクタシュのチャントを歌い出す彼らの様子を見ただけで今日の試合の結果は予想がつく。まあ、こんな日もあるさ。

翌日。いよいよ帰国の日。フライトまでの時間は、再びアジア側のカドゥキョイを歩いて過ごすことにした。たまたまふらふらと歩いて見つけた雑居ビルの中に本屋街があった。ふと思い立ってクルド語の会話帳がないかどうか聞いてみる。何軒か回って、最後にクルド語―トルコ語の会話帳を見つけることができた。もちろんトルコ語もたいして理解していないので、日本語―トルコ語の会話帳と合わせて購入した。日本ではクルド語の本なんて全くもって見たことがないから、これはきっと貴重なものだ。とにかく、クルドの人々と話していて抱いた、それぞれの思いが伝わらないもどかしさも、これでほんの少しは解消できるかもしれない。またあの地を訪れる機会に巡り会えるなら。

連絡船で深い霧に包まれたヨーロッパ側へと戻り、最後の食事となったサバサンドを思いっ切り頬張った。帰国のフライトの時間まであと少し。旅の魔法が間もなく切れる。さて、次は、どこで、どんな出会いをするのだろう。