2011年→2012年、インド、カーニャクマリ

 宿をチェックアウトしたとき、外はまだ暗かった。朝の5時半。眠そうに停まっていたリクシャを拾ってマドゥライ郊外のバスターミナルへと向かう。細い路地を縫うように走るリクシャ、しかし、早朝から渋滞に捕まる。バスやトラックだけでなく、大量の荷物を積んだ自転車や手押し車までが細い通りを占拠していた。いったい、こいつらは何時に寝ているんだろうと不思議に思いながら、リクシャから身を乗り出して写真を一枚。

 渋滞をなんとかすり抜け、15分程ひた走ってバスターミナルに着いた。だだっ広いバスターミナルは、さすがに閑散としている。今日はインド大陸の最南端・カーニャクマリに向かうのだ。表示通りに進むと、その場所にバスが1台止まっていたので、バスの車掌に確認をとって乗り込んだ。席だけ確保して一旦バスを降り、近くの売店でドーナツを見つけて購入。もちろんスパイスは効いているのだが、決して嫌な味ではない。温かいチャイと一緒にありがたくいただく。

 座席が半分ほど埋まったところで、南に向けて出発。ローカルバスなので、当然の如く窓は閉まらない。田舎道を爆走するバス。直撃する風。南インドに毛布なんて持ってくるはずもないので、唯一の長袖のパーカーのフードをしっかり被って耐える。日が昇り、ようやく快適になったと思ったら、大きな街に到着して大量の人が乗り込んできた。極端な寒さは極端な暑さに変わり、つい数十分前まで命綱だったパーカーを脱ぎ捨てる。バスはいくつも街を経由して、人を乗せては降ろしながら、南へ南へと向かう。うとうとしていると、車掌から呼び止められた。カーニャクマリ到着である。時間は12時近くになっていた。

 驚いたのは人の多さだ。道の両側には服や鞄を売る店が並び、その間を人が埋め尽くし、けたたましいクラクションを鳴らしながらリクシャが人の波を切り裂いていく。どうにも疲れる街である。街の中心にある寺院の近くで宿を探すが、どこも満室ばかり。たまたま部屋が空いていても請求される値段は法外。ようやく確保できた宿は、街の外れで(とは言っても小さな街なので、中心部まで徒歩5分くらいだが。)、掘っ立て小屋の中に押し込められた湿ったベッドと、構造上閉めることのできない窓。これまでの旅の中でも、間違いなくワーストに近いものだった。

 聖地と聞いていたカーニャクマリだが、ここはインド人にとっての一大観光地なのだ。街の中心にある小さな寺院には参拝客がひっきりなしに訪れ、向かいの島に渡るフェリーには大行列。どこのレストランも満席の状態。中心部から少し離れた地元向けの安食堂でミールスを食べてから、海沿いのガートに出てみた。明らかに家族旅行と思われる身なりのいい人々が沐浴をしているが、厳かな雰囲気は皆無。もちろんサドゥなんかいるわけがない。ガンジス川沿いの聖地が持つような、金持ちも物乞いも、カーストの矛盾ごと全てを丸め込むような包容力はこの地にはなく、沐浴は単なる海水浴と化している。

 繰り返すが、カーニャクマリはインド人にとっての一大観光地なのだ。それなら、それなりの楽しみ方がある。胡散臭い造りの展望台、センスのない彫像が並ぶ公園、しょぼい水族館、開くことのないマジック・シアター。視点を少し変えて、探偵ナイトスクープ的なパラダイスを探し歩くことにした。

 日が傾き出した頃、夕日を眺めるために、再び海沿いのガートに出た。空はどんよりと曇っている。ガートにボーッと腰掛けていると声をかけられた。観光客ではなく、地元の子供達だ。タミル語の会話帳で一生懸命コミュニケーションを取っていたら、いつの間にか写真撮影大会へと変わっていた。結局、夕日は一度も雲から顔を出さないままに沈んでしまったが、なんとなく満たされた気持ちになり、屋台が立ち並ぶ広場を横切って宿に戻った。

 その夜は長い停電があったのでさっさと寝て、朝日を見るために早く起きた。カーニャクマリはインド大陸の先端に位置するため、朝日と夕日が同じ場所から見えるのである。海沿いのガートは、真っ暗なうちから人で埋め尽くされている。自分はと言えば、朝日よりも人間観察の方に興味が向いてしまっている。結局、朝日も厚い雲に隠れて見ることができず、気が付いたらすっかり明るくなっていただけだったが、彼らはたいして落ち込んだ様子も見せず、方々に散っていった。

 おもしろくなかった訳ではないが、長居するような場所ではない。糞宿からバックパックを担いでバスターミナルに向かう。タミルナードゥ州とはしばしのお別れ。旅の進路は北へと変わり、これからケーララ州に入る。

2011年→2012年、インド、マドゥライ

 マドゥライと言えば、なにを差し置いても、まずはミーナクシー寺院である。深夜バスで到着してすぐ。事前にLonely Planetで調べておいた中では寺院に最も近い安宿へと向かい、シングルルームを確保した。荷物を置いて、最上階へと階段を昇る。朝6時過ぎ、宿の屋上からみた徐々に明けゆく空と、その空に突き刺さるミーナクシー寺院の塔門(ゴープラム)。撮りたかった写真が撮れた。

 眠気はすっかり醒めた。早速、朝の寺院へ向かう。ミーナクシー寺院は、東西南北それぞれに聳え立つ、50mを超す巨大なゴープラムが特徴的だ。ヒンドゥーの神々の細かくてカラフルな彫刻が高い塔全体を覆っていて、それが全体的に緩やかな曲線を構成する。その存在感は圧倒的だ。昇りゆく日の光を受けて徐々に色を変えていくヒンドゥー版八百万の神々。バカみたいに写真を撮り続けたので、カメラを持つ手が痛くなってくる。

 厳重なセキュリティチェックを潜りぬけ(「だから、それは替えの単焦点レンズだって言っとるやないか!」)、寺院の中に入る。朝もまだ早かったが、既に参拝者でごった返していた。寺院内部の回廊の天井にはサイケデリックな模様が施され、奥へと続いている。模様に誘われるまま奥へと進めば、ヒンドゥー教徒以外の立ち入りが禁止された区域があり、中に入ろうとする巡礼者が大行列をなしている。外から様子を窺い知ることはできないが、特別な祈りの場所があるのだろう。うろうろしていると、巡礼者の団体に声をかけられた。ハイダラバードから来た彼らは、カーニャクマリやラーメシュワラム等の南インドの聖地を回り、今朝マドゥライに辿り着いたらしい。

 この旅で気付いたもう一つのことは、行く先々でインド人の国内旅行者の姿ばかりが目立ったことだ。南インドは、北インドに比べれば目立った観光地が少なく、外国人は少ないとはいえ、しかし、多くのインド人が国内を自由に旅行できるくらいの経済力を持つようになったということだろう。ハイダラバードからの巡礼者から、朝御飯代わりに、ビスケットの残り少ない水分を飛ばしきったような謎の物体をいただいて、モグモグしながら握手して別れた。

 寺院の中をひと通り散策した後で外に出た。ミーナクシー寺院の周囲は門前町として栄えている。礼拝用の雑貨、貴金属、衣服から、目覚まし時計に至るまで、さまざまなお店が軒を連ねている。大好きな細い路地に入れば、子供に取り囲まれて写真撮影大会が始まった。日本に帰って現像した写真を送るつもりが、住所がどれがどれだかわからんようになったのだが。うーん。子供に案内されるまま奥へとついていくと、ちょっとした空き地があって、一緒にクリケットをやってみる。クリケットのルールは未だにわかっていないが、板でボールを打ち返していれば、まあ、なんとかなるものだ。

 ミーナクシー寺院の東門近くの食堂が混雑していて美味しそうだったので、昼飯時に行ってみた。巨大なバナナの葉の上に大量の白飯と4~5種類のおかずが乗る、南インド独特のミールスという定食で、もちろん素手で食べる。旅行中、さまざまなところでミールスを食べたが、この食堂のものが最高だった。まず、米が美味いし、カレーはあっさりしていて、素材の味を凄く大事にしている。破壊的なスパイス使いの、私の知っている北のインド料理とは異質のもの。白飯と、サンバルやラッサム等の基本的なおかずはおかわり自由。白飯を2回おかわりして腹がはち切れそうになった。

 深夜バス移動の疲れも出てきたので、一旦宿に戻って昼寝をきめこむ。起きたて慌てて外を見たら、すっかり日が傾いていた。夕日に赤く染まるゴープラムも美しい。朝も入ったしと一瞬迷ったけれども、結局は厳重なセキュリティチェックを潜りぬけ(「だから、それは替えの単焦点のレンズだって言っとるやんけ!」)、夕方の礼拝の人の波に飲まれてみる。もちろん、夕方も、礼拝の人々で寺院のなかはいっぱいになって、お祈りの声が響き渡っていた。回廊の天井は、夜の方が妖艶さを増しているようだ。

 ミーナクシー寺院を堪能して、この日は早めに就寝する。翌日は、インド大陸の最南端の聖地カーニャクマリへと向かう。陸路移動のゴールとなるフォート・コチはまだまだ先だ。やや慌ただしく。

2011年→2012年、インド、プドゥチェリー

 チェンナイからどこに行こうかと地図を眺める。ミーナクシー寺院が有名なマドゥライは必ず訪れるつもりだったが、チェンナイからはバスで10時間以上。飛行機を乗り継いで疲労が溜まった体に、いきなりの深夜バスはしんどいだろうと思い、機内で読んだLonely Planetで、もう一つ選択肢を用意しておいたのがプドゥチェリーである(人気のマハーバリプラムは帰りに残しておいたので、その件は、また後日)。チェンナイからバスで3時間程であり、南インドに慣れておくにはちょうどいいだろう。

 朝の4時。甘くて温かいチャイを飲んだ後、宿を探しにバスターミナルを出ると、案の定オートクリシャに捕まった。バスターミナルから安宿街まで2kmほど。値段を聞くとRs 1000とか言われ、阿呆かふざけんなと無視して歩くと、あっさり1/10になった。Rs 50までまけさせて、オートクリシャに乗り込む。ゲストハウスは満室ばかりで、5軒くらい断られ続けた後で、ようやく一部屋みつけた。清潔とは言えないレベルのでベッドだったが、ルーフトップにあって風通しがよかったので、ここに決める。風通しがいい分、毎晩大量の蚊の奇襲を受けることに、この時点では気付いていない。がんばって探してくれた運転手に、ちょっとだけお礼を足してお金を払う。

 北インドではバックパッカーと客引きとの壮絶なバトルが繰り広げられるものだが、南インドでは全くそんなことはなかった。リクシャの言い値は十分に安いし、それでも値切ろうとすると嫌な顔をされる。臨戦体制を取っていたので、少々面食らうことが多かった。

 数時間寝て、街を歩く。Lonely Planetに書いてある通り、フランス風味のコロニアル建築の街並みが残っている。長期滞在する欧米人が多く、旅行者の年齢層も比較的高い。ただ、キューバのトリニダーを見てきた自分にとってはたいして感慨はない。面白い建物の写真を撮ろうと思っても、どうしても新車が入り込んでしまうので、興醒だ。他国の発展を揶揄するつもりはないが、今回の旅で一番考えるテーマでもあった。

 まず、インドでお馴染みのサイクルリクシャを一切みかけなかった。つい3年前に出かけた北インドでは乗ったばかりだったので、これには驚いた。オートクリシャよりもサイクルリクシャの方が好きだったのに。つい10年前のコルカタで乗った人力車なんて、既に遠い過去の話になってしまった。そして、街中を走る新車の割合が多いこと。TATAのボロボロの乗用車を使い回していたのも遠い昔話。世界は確実に均衡化している。「地元の人は便利になることを望み、旅行者だけがそれを嘆く」。旅行人にあった言葉を引用したい。

 マナクラ・ヴィナヤガル寺院は、フランス風の街並みに突如現れたインドな空間である。ガネーシャを祀る寺院なので、ゾウが住んでいる。その長い鼻でもって、参拝者に祝福を与えるのである。ただし、ゾウにお金を渡す人限定で。ああ、なんと金に汚いゾウ。資本主義的なゾウ。素晴らしい躾のたまものか。そのうち、ゾウも資本論くらい書けるようになるかもしれない。

 フランス風味の静かな街並みから、1本大通りを挟むとインドらしい雑踏が待っている。僕はというと、雑踏に飲み込まれる方を選んでいた。インドの雑踏側で市場を見つけた。北インドと違って、冬でも温暖な南インドは野菜が豊富で、スパイスが山積みにされ、すごい活気。中途半端にコロニアルな街並みよりも、この市場での興奮のほうが勝ってしまった。市場の中は迷路のようで、ふらふらと彷徨いつつ、写真を撮りつつ。

 プドゥシェリーで2泊して、深夜バスでマドゥライへと向かう。クリスマスシーズンで満席だったが、隣に座ったインド人の学生と仲良くなる。街歩きの疲れでぐっすり寝て、起きたらマドゥライだった。学生に別れを告げて、宿を探しに重いバックパックを担ぐ。

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