ジェニン。大虐殺の街の小さな劇場。

DSC_0978 (2)

翌日。今日も眩しい朝の陽の光の中、ナブルスから北へと向かうセルビスに乗り込んだ。満員の客を乗せたセルビスは、山をいくつか越え、あっさりと1時間ほどで比較的大きな街に着いた。パレスチナ自治区では最北端に位置する街、ジェニン。この街で最も名が知られる宿であるシネマ・ジェニン・ゲストハウスは、大通りから1本入った路地に面している。NGOやボランティアとの情報交換ができると聞いて楽しみにしていたこのゲストハウスに入ってみると、この日の宿泊客は僕一人だった。広々としたドミトリーとキッチンを独り占めできるのはいいが、やはり、少し寂しい。エルサレムで見かけたあれだけ多くの観光客はいったい何処に行ったのだろう。

DSC_0990 (2)

2002年、ジェニンの繁華街のすぐ隣に位置する難民キャンプに、イスラエル軍が無差別攻撃を行った。多数の市民が殺され、難民キャンプは瓦礫の山へと変わった。死者の数は、数十人というイスラエル政府から、数百人というパレスチナ自治政府まで開きがあり、真実は暗い闇に閉ざされている。しかし、その事件で確かに破壊された建物や車の瓦礫は、巨大な馬のモニュメントに形を変えている。難民キャンプの入り口に佇んでいるその馬は、あのときの記憶を今に伝える唯一のものだ。僕が訪れた晴れた冬の日の午後、ほとんど人陰を見ることもなく不自然なくらいの静寂の中、馬の肩口にある「救急車(AMBULANCE)」の文字が痛々しく映える。

DSC_0980 (2)

2006年、ジェニンの難民キャンプに小さな劇場ができた。フリーダム・シアターという名の劇場は、パレスチナの若い世代が何かを表現する場として、文化的な抵抗を標榜している。その一方で、劇場の創設者は2011年に何者かに殺害された。この街では、絶えず死と隣り合わせの状態が今も続いている。街の人に場所を聞いて、大通りを曲がると、フリーダム・シアターのある小さな広場に出た。劇場の中には人の気配はなく、扉には鍵がかかっている。広場で遊んでいた男の子が休みだよと教えてくれた。そう言えばこの日はクリスマス。仕方なく、劇場の隣の売店でチャイを頼む。外のベンチで柔らかな日差しを受けながら、温かく甘いチャイを啜りつつ、男の子とボールを蹴って遊んだ。

DSC_1052

夕方、ジェニンの中心街を歩いた。街で一番大きなモスクの周りには夥しい数の屋台が並んで、多くの人で賑わっている。これといって名物がある訳ではない、典型的な中東の小さな街。難民キャンプから離れてみれば、悲劇の名残は微塵も感じられない。日は沈み、屋台で買った焼き鳥を食べながら、おっちゃんと話をする。お互いの片言の英語では、本音は言語の壁を越えられていないけど、徐々に良い方向に向かっているのではないかという、おっちゃんの希望に近い思いは伝わった。誰もいないゲストハウスのドミトリーに戻り、好きな音楽を聞きながら好きな本を読み、少し寂しいけれど一人で過ごしたクリスマスの寒い夜。

DSC_1044

DSC_1047

翌朝、再びフリーダム・シアターに向かった。今日は小さな扉が開いていたので、恐る恐る中に入る。「Welcome to Revolotion!」何処からか若い男の子の声がした。小綺麗な部屋のテーブルを囲んで、同世代の男女が5人ほど、少し深刻そうな話をしている。ちょっと居心地の悪さを感じていると、外から入ってきた一人の男の子が、それを察してくれたのか、僕を隣の部屋に呼び寄せた。彼はここで演劇を学んでいる学生だと言う。少し古いデスクトップのパソコンが並んでいて、その中の1台でyoutubeにアクセスする。まず見せられたのは「風雲!たけし城」だった。日本のテレビ番組は面白いよねと言って、世界中でやたらと人気のこの番組を荒い画質で嬉しそうに眺める彼。お互い笑顔で打ち解けてから、彼はフリーダム・シアターの映像を見せてくれた。彼らはヨーロッパ等の海外での公演を積極的に行っていて、彼自身もドイツに短期留学をしていたとのことだった。小さなパソコンのモニターの中では、ジョージ・オーウェルの「動物農場」や、グロテスクな表現を極めた「不思議の国のアリス」、さらにはコンテンポラリー・ダンスが鮮やかに表現されている。

DSC_1055

やがて、授業があるからと言う彼と別れを告げ、僕は劇場を出た。宿に戻る道の途中、空き地にたむろしていた若者の集団に声を掛けられた。ありきたりの挨拶に続いて、彼らの一人が携帯電話の画面に写った写真を見せてくれた。本物の銃を持って微笑む彼がいる。ゲリラをやっているのだと彼は胸を張って言った。どう見てもお金を持っているようには見えないけれど、何処からか温かいチャイを持って来てくれる。僕はそれを有り難く受け取って、その代わりに日本で買ってきた飴ちゃんをごっそり手渡した。なんと対照的なジェニンの二つの光景だろう。ジェニンでの芸術的な試みは、非暴力の抵抗という可能性を見せてくれた。それは、投げた石よりも、遥か遠くまできっと届く。でも、その一方で、そこから零れ落ちる人たちがいることにも心を向けていたい。知恵は力になり、それは、受け止める人が増えてゆき、いつか大きな実を結ぶと僕は信じている。

DSC_1010 (2)

ナブルス。あの壁の向こう側へ。

エルサレムからパレスチナ自治区へと向かうセルビスは、旧市街のダマスカス門に程近い「アラブバス」と呼ばれるターミナルに停まっている。暇を持て余していたいくつものセルビスの中から、僕はラマッラーに行く車に乗り込んだ。車中には2、3人の乗客が座っていただけだったが、やがて席が埋まり、セルビスは走りだす。エルサレムの都会的な街並みから、突如として視界から建物が消え、目の前には、荒れ果てた野に聳えた巨大な灰色の壁が迫ってきた。その壁は、イスラエルが支配する地域と、パレスチナ自治政府の影響を与える地域とを隔て、双方の人と物との行き来を堰き止めているのだ。僕の乗ったセルビスは、壁をぐるりと回り込むようにして走り、ようやく見つけた門を抜け、外の世界へと飛び出してゆく。ここはカランディアの検問所。この壁のあちら側、すなわちパレスチナ自治区に車が入ったのを確認して、僕は窓から身を乗り出した。イスラエル側で見た無機質な灰色のコンクリートは、こちらでは格好のキャンパスであり、アラファトやバルガウティら、政治的象徴の肖像画やメッセージが、鮮やかな色彩で描かれている。

DSC_0807 (2)

ここはパレスチナ自治区。パスポートチェックを経ずに至る全く別の文化圏。走る車窓から眺め見る看板からはヘブライ語が見事に消え、アラビア語ばかりが目に付くようになる。僕を乗せたセルビスはラマッラーの空き地で停まった。僕は、運転手にナブルスに行きたい旨を告げると、彼は横に停まっているセルビスを指差した。乗り込んだセルビスは空席が目立っていたが、やがて次々と席が埋まり、満席になると出発した。ラマッラーの大きな街を抜ければ、車窓から見る風景は中東独特の荒地に変わる。セルビスは、幹線道路を走り、所々小さな集落を越えてゆく。道中、イスラエル軍の嫌がらせのような検問があるとも聞いていたが、幸運にも僕が乗ったセルビスはそのようなトラブルに出会うことはなかった。ラマッラーから約1時間、大きな街に辿り着く。ここが目的地のナブルス。パレスチナ自治区北部の街。

DSC_0848 (2)

ナブルスの街は背後に山が迫り、モスクを囲むスークは小ぢんまりとしているが、まるでシリアのアレッポを思わせる落ち着いた中世の旧市街の魅力に溢れていた。適当なホテルに腰を落ち着け、街をぐるりと歩いて回る。街をゆく人々は、珍しい異国人の僕を見つけると、ここぞとばかり話しかけてきてくれるのだが、ここでは英語すらほとんど通じないのがもどかしい。彼らは心からの善意で煙草を差し出し、僕はそれを断り切れず、慣れない煙に喉を痛める。

DSC_0918 (2)

ナブルスの近くには、パレスチナで最大の難民キャンプである、バラータ難民キャンプがある。旧市街からは車で10分ほど。「キャンプ」と呼ばれているものの、この場所にできてから数十年の時が経つため、外見は普通の街と大差はない。しかし、最近でも、イスラエル軍の攻撃を何度も受け、多くの人が亡くなっている。タクシーを降り難民キャンプを少し歩いた。華やかなナブルスの中心部に比べ、貧しさが目立つ。ただ、人々の目は優しく、一緒にチャイを飲んで談笑すれば、両手いっぱいのお菓子を握らされる。その一方で、僕はあくまで他所者であり、明らかな警戒感を隠さない住民も少なくはなかった。

DSC_0863 (2)

DSC_0871 (2)

バラータの街をぐるりと歩いて大通りまで戻る。途中でお金をせびってくる子供がしつこくまとわり付きだしたので、目についた大きなカソリックの教会に飛び込んだ。子供は、僕が教会に入るのを見て諦めたらしい。教会の敷地では打って変わって静寂が訪れた。クリスマスが近いにも関わらず全く人の気配がしない教会で、大きな建造物を眺めながら歩いていると、扉が少し開き、若いシスターが顔を出した。「早く中に入りなさい。警察が来たわ」。僕は慌てて、その半開きの扉の中に身体を潜り込ませた。彼女は静かに扉を閉める。「何が起こったの?」と聞くと、彼女は、少し苦笑しながら、「ここではいつも『何かが』起こっているのよ」と言った。とりあえず建物の中に入れば安心していいようだ。折角なので、シスターに教会の中を案内してもらう。難民キャンプに気を取られるあまり、ほとんど意識はしていなかったが、ここはイエス・キリストが水を飲んだという「ヤコブの井戸」を祀る、由緒正しい教会だった。「ヤコブの井戸」は祭壇の裏側にあり、今なお綺麗な水を湛えていた。シスターの勧めで少し口に含む。ひんやりと冷たく、柔らかな水の味がする。

DSC_0884 (2)

シスターに広い教会の中を案内してもらい、僕はその御礼の意味も込めてお土産を買った。彼女は僕に「真っ直ぐ帰りなさい」と言った。もう少しバラータを歩いてもよかったが、地元の人の忠告には素直に従っておいた方がいいだろう。教会のすぐ前でタクシーを捕まえ、ナブルスの旧市街へと戻ることにした。2度のインティファーダや、その間のイスラエル軍の攻撃。絶えず人と人がぶつかり合うこの場所で、両者に比べて圧倒的なマイノリティであるキリスト教徒が、聖書に縁のある井戸をずっと守り続けているのは、どれだけ過酷なことだったのだろう。

DSC_0922 (2)

夜、僕はナブルスの旧市街にある古いハマム(アラブ式の銭湯)に向かった。寒い冬の中東の旅では貴重なハマム。日本の下町にはしなびた銭湯があるように、アラブの下町には渋いハマムがある。思えば、この旅のアンマンやエルサレムの安宿ではお湯の出が怪しかったので、ゆっくり埃を落とすのは本当に久しぶりのことだった。熱々の蒸気に身体をほぐしながら、地元の若者と裸で語り合うのが何よりの醍醐味。綺麗な服に着替え、ハマムの温かな休憩場で、今日出会った人たちの笑顔を思い出し、一人ぼんやりと熱いチャイを啜っていた。

DSC_0932 (2)

エルサレム、その3。暗闇の教会、膝の上の猫と近づくクリスマス。

DSC_0777 (2)

この街には、さらにもう一つ別の世界が重なり合って存在している。それは、神殿の丘と嘆きの壁のある一角から見ると、ちょうど旧市街の反対側に当たる。イエス・キリストが十字架に磔になったゴルゴダの丘と、それを祀った聖墳墓教会である。神殿の丘の前に広がるムスリム街から東側へと緩やかな坂道を登って歩けば、周りの建物は徐々に小綺麗さを増していき、ヨーロッパ風味のオープンカフェなどの洒落の効いた店がやたらと目に付くようになる。キリスト教徒にとって最も重要な場所である聖墳墓教会は、仰々しい目印も無ければ、厳しい身体検査もなく、その入口は非常にわかりにくい。外側から見る限りは、何の変哲もない地味な建造物でしかない。この複雑に文化が折り重なる街にあって、彼らは敢えてその存在感を消しているのではないかと思う。

DSC_0784 (2)

しかし、聖墳墓教会の建物の中に足を踏み入れると雰囲気は一変した。教会の入口を潜ったすぐ奥には鮮やかな色彩の壁画が飾られていて、すぐ目の前の床には、十字架から降ろされたキリストの遺体が乗せられたと言われる板状の石が置かれている。その石の上には、いつも誰か熱心な信者が跪いて祈りを捧げていた。さらに薄暗い通路を奥へと進んでいくと、教会の中心にあるのはイエス・キリストの墓であり、巨大な立方体の前に巡礼者が列をなしている。外は雲一つない青空で眩しい冬の太陽がギラギラと輝いているはずだが、光が届かないこの建物の中では、巨大な墓の陰影はより重厚さを帯びていた。キリストの墓のある部屋の周囲には、天井の低い小部屋がいくつもあって、それぞれデザインの異なる祭壇が祀られている。この教会の中で、祭壇がいくつも細分化されているのは、宗派ごとの微妙な関係を暗に示している。湿っぽく薄暗い教会の中を歩き回れば、偶像崇拝を厳格に禁じる先の2つの世界観と異なり、この艶やかさは密教的に思えた。歴史と政治の荒波に翻弄される中、彼らはひっそりと身を隠すように陰々鬱々と祈り続けてきたのかもしれない。建物の外に一歩出れば、日の光の無垢な眩しさにしばし立ち止まる。

DSC_0675 (2)

DSC_0672 (2)

DSC_0640 (2)

エルサレムの旧市街は、さらにアルメニア人地区を経て、街全体を囲う分厚い城壁の外に出ると、巡礼の道はシオンの丘へと続いていた。単なる限られた一地域を示す名前だったその言葉は、イスラエル建国に至る基になった社会思想である「シオニズム」の語源になり、一方で、その精神はラスタファリに模倣され「ザイオン」という道標にもなった。現在のシオンの丘は、ユダヤ教徒にとっての聖者であり王であるダビデを祀るの墓の隣に、イエス・キリストを受胎した聖母マリアを祀る教会があり、観光バスは駐車場にずらりと並んで停車して、世界中からやって来たの巡礼者が祈りを終えるのを待っていた。

DSC_0709 (2)

再び城壁が囲う旧市街の中へと戻り、嘆きの壁と岩のドームが見渡せる場所に向かった。クリスマスが近付くこの時期、エルサレムの人々が忙しく行き交う様子を一人で眺めていると、黒猫がじっとこちらを見つめているのに気付いた。視線が合うと、彼女はこちらに静かに歩いてやって来て、僕の膝の上に飛び乗った。生命の重みと温かみをずしりと膝の上に感じる。彼女は頭を僕の股間に埋めて動く気配はなく、僕は、居座る黒猫の背中を撫でながら、変わりゆく空の色を眺めていた。しばらくすれば日は沈み、腹は減って空気は冷えていく。そろそろ宿に戻ろうかと思ったけれど、黒猫は僕の膝の上から動くつもりはないらしい。仕方がないので、無理やり彼女を持ち上げてみると必死に抵抗し、僕の手に爪を立て指に噛み付いた。あまりの痛さに手を離せば、彼女は再び僕の膝の上に落ち着いて丸くなる。やれやれと諦め、僕はやたらと毛並みのいい背中を撫でるしかない。野良猫も、人肌が恋しくなる季節なのだ。気が付けば日は完全に沈み、周りの建物には灯りが点ったけれど、彼女は断固として僕の膝の上から動くことはなく、僕ができるのは、彼女の立てる小さく規則的な寝息を聞くことだけだった。

DSC_0743 (2)

DSC_0762 (2)

« Newer PostsOlder Posts »