2010年、イラン、テヘラン。

カシャーンからテヘランまではバスで3時間程度だ。いそいそとバスに乗り込んでくつろいでいると、イランの女の子が流暢な英語で話しかけてきた。我々の一つ後ろに座っていたのはテヘラン郊外に住んでいる22歳と18歳の姉妹。話した内容は、これまでの旅で何度もあったように、イランの話、日本の話、等々。イランではどこに行ったの?、イランは好き?、日本ではどんな仕事をしているの?・・・云々。そして、ひとしきり話が弾んだ後、姉がちょっと照れ臭そうに、「うちに泊りに来ない?」と言った。特にテヘランでは見たいものがなかった我々、イラン人姉妹の家にお世話になることにする。

テヘランの南のバスターミナルから、地下鉄2本と電車を乗り継いだところにある彼女達の家。テヘランの中心部から1時間だから、関西で言えば草津くらいの感じだろうか。閑静な住宅街にあるアパートを借りて2人で住んでいた。まずは、お腹が空いただろうということで巨大なサンドイッチを買ってきてくれる。まずはシャワーを浴びろと勧められる。そして、今日は私たちのベッドで寝ろ、私たちは床で寝るから、と言われ、こちらが何と言っても頑として聞かない。22 歳と18歳の女の子が、汚い恰好をした見ず知らずの外国人2人組(うち、一人は加齢臭が香り始めた30近いおっさん)に自分のベッドを貸すというミラクル。

近所を散歩して小さなモスク等を案内してもらいながら、豆や水を買い与えてもらい、最終的には手料理までご馳走になり、この日は就寝。10コも歳の離れた女の子にそんなことをさせていいのかと悩みながら、この旅最後の夜は更けていく。

次の日は、彼女達の案内で、中東最大級と言われるテヘランのスークへ向かう。そのまま帰国するため重い荷物を背負い、彼女達の親戚がやっているという店に荷物を置かせていただき(まあ、何から何まで・・・)、スークで土産物を漁る。友人の新しい店の開店祝いにと、イランの昔の王様の絵の書いたお茶セット等を購入したり、イラン名物の香水を値切ってもらったり、近所の博物館に連れて行ってもらったり、と盛りだくさん且つ精一杯のホスピタリティー。旅先のみならず、日本でもここまで尽くされた経験はほとんどない。宗教上、異性同士が近づくことはできないので、私だけ一人距離を置く感じにはなったが、嫁と彼女達は固い絆で結ばれていた。

最後に立ち寄ったのは、テヘランの中心部から空港へ向かう間にある、エマーム・ホメイニ聖廟。イラン革命の指導者のホメイニ師を祀った巨大なモスクで、まだ建設中にも関わらず多くの人が参拝に訪れていた。黄昏時の空に突き刺さるミナレットと、参拝に訪れた人々との触れ合いは、間違いなくこの旅のハイライトの一つだ。夢が醒めようとする瞬間の最後の美しさ。

そして、エミレーツを乗り継ぎ日本に帰り、休暇中にたまっていた仕事を2日徹夜で片付けた後、見事に盲腸炎でぶっ倒れたのです。

2010年、イラン、アブヤーネ、その2。

アブヤーネ村の民族衣装は、花柄の可愛らしいヒジャーブ(女性が被る布)である。村の婆たちは皆この布を身にまとっているのですぐに判別可能だ。そして、アブヤーネ村の建物は土でできている。この地域独特のほんのりピンクがかった土は、小さな村を美しく演出する。

キャルキャス山脈の中腹に抱かれた小さな素朴な村、と言ってしまえば非常に簡単なのだが、残念ながら現実はそう甘くはない。下の写真を見ていただければわかる。村の一角でガイドの説明を聞いているイラン人達。そのほとんどがテヘランやイスファハーンという大都会から来た観光客だ。別に、彼らを悪く言うつもりはないが、雰囲気もへったくれもあったものではない。もちろん、いつも通り、陽気な彼らに話しかけられて一緒に写真を撮ったりして騒いでいた訳だが。特にこの日は木曜日。イスラムでは金曜が休みなので、まあ、つまりは週末であり、普段よりも余計に観光客が多かったらしい。アブヤーネホテルがほぼ満室だったのも頷ける。

そして、アブヤーネ村は一大観光地にふさわしく物価が凄まじく高い。婆の着るヒジャーブ、単なるボロボロの布だが、売りに出されれば日本円で1000円だ。それを買ってしまう私の嫁。非常に嘆かわしい。買って気付いたmade in Japan。まあ、ここまで来ると何を信じていいのかわからなくなる。何が「中世の街並みを残す静かな村」だ。ロンプラも地球の歩き方も、もうちょっとしっかり調べなさい。

ただ、こんな小さな村でも観光客が来るところと来ないところの2つに分けられる。村の中心を少し離れれば一気に人通りがなくなり、花柄のヒジャーブをまとった婆とたまにすれ違う程度。婆から声がかかり、その家に案内されれば、干したリンゴやクルミを買えと迫られるが、正直美味しいので構わない。

そして、山側に抜けて、少し斜面を登れば、村全体が見渡せるポイントに辿りつく。その後ろには、ひたすらに草原が続くだけ。この解放感はなかなか味わえるものではない。

日が沈めば、一気に人通りがなくなる。アブヤーネホテルで晩飯というのも芸がないので、昼間みかけた村のはずれにあった小さな食堂へ向かう。残念ながらケバブは品切れとのことだったが、煮込み料理のディージーは素朴な味で旨い。店のご夫婦はほとんど英語はしゃべれないのだが、お茶をご馳走になってしまい、ペルシャ語会話帳を駆使してなんとかコミュニケーションを試みる。今日はたまたま木曜日だったから人が多かったが、それ以外は全くだそうだ。もう1日早く来ればよかったのかもしれないが、まあこの村の現実を知ることができたのでよしとしよう。

翌日、朝食をとって外を見れば、さすが金曜日だけあってアブヤーネ村は大渋滞。あの小さな食堂の発展を心から祈る。全員あそこ行って飯を食いやがれ。昨日のタクシードライバーに電話をかけて迎えに来てもらって、カシャーンのバスターミナルからテヘラン行きのバスへ乗り込む。長かったイラン旅行も残すところ、後1日。

2010年、イラン、アブヤーネ、その1。

早朝にヤズドを出れば10時頃にはカシャーンに着く。この街は薔薇の産地として有名であり、そこそこ大きなスークもあるため、少し立ち寄って買い物をしてからアブヤーネに向かうことにする。

カシャーンはアブヤーネへの起点となる街だが、ここからアブヤーネまでは車で2時間程かかる。お馴染みの「地球の歩き方」にはほとんど情報がなく、1日2~3本あったバスは廃止されたようで、タクシーを捕まえるしか選択肢がない、とのこと。また、「Lonely Planet」によれば、アブヤーネではたった1軒だけ高級ホテルがあるが、いつもガラガラなのでディスカウントに応じてもらえるだろう、とのこと。まさに秘境ではないか。ネパールのポカラからトレッキングで立ち寄った、ヒマラヤに抱かれた小さな村のことを思い出し、ワクワクが止まらない。

たまたま捕まえたタクシーのドライバーは、人のよさそうな髭の巨漢の男(イラン人男性のほとんどはそれに当てはまる)。値下げ交渉の末、若干のディスカウントに成功して出発する。途中、ドライバーの家に寄り、菓子や果物をご馳走になった。そして、ひたすら真っ直ぐ延びるハイウェイを通り抜け、ハイウェイを降り、遠く霞む山脈へと方向を変えて、狭くくねった山道をひたすら走ると、アブヤーネ村に至る。ドライバーから電話番号が書かれた紙を渡され、「明日、帰る時は俺に連絡しろよ」とペルシャ語で言い残して(何を言ったかわからなかったが、きっと言ったに違いない)、タクシーは颯爽と去って行った。

まずは、アブヤーネ村唯一のホテルという触れ込みのアブヤーネホテルに行ってみる。予想に反してロビーはなぜか人でいっぱい。しかも、少し身なりのいいイラン人ばかり。人波をかき分けてフロントに向かい、予約は無いが部屋をよこせ、と騒ぐと「Fullだ」と言われる。まさかの展開。戸惑う我らをみて、「ちょっと座って待っとけ」とフロントの強欲そうな婆は言い放った。

まあ、なんだかんだ言いつついい歳してるが貧乏旅行なもので身なりが汚い。周りの金持ちイラン人と比べれば明確に汚い。着古したシャツに、穴の空いたジャージ、明らかに顔が薄くて色が白い東洋人が高級ホテルのロビーで不安気に立っているので、怪しいこと限りがない。

ホテルの強欲婆から呼び出され、一晩$300の部屋と、風呂トイレはついてないが$40の部屋と、どっちがいいか聞かれる。先程の「Fullだ」というのは、一般的なツインルームがFullだったということのようだ。悩むことなく$40の部屋を選択し、ついでに、「ゲラーン!、ゲラーン!、ロットファンタクティフベタフィー!(高い!高い!安くしろ!)」と高級ホテルのフロントで汚い東洋人がワーワーと叫んで、$10程まけさせてやった。安い部屋といっても、ベッドは綺麗で文句はない。1つだけ不満があるとすれば、手洗所に行くまでに2F分の階段を上り下りしないといけないだけだ。

とりあえず、宿も確保できたので、ホテルの併設のレストランで昼飯を食い(高級ホテルだけあって美味しかった!)、村へ散策に向かう。

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