2011年→2012年、インド、バックウォーター、その1(コーラムからアレッピーまで)。

ヴァルカラからコーラムへは鉄道で僅か30分の距離にある。インドの切符売場の大混乱を恐れ、少し早めに宿を出た。ヴァルカラの駅の構内は整然としていて、切符はあっさりと購入できて、そして、なんと定刻に来る列車。そんな馬鹿な!自分の知っているインドじゃない、と軽くショックを受ける。

やってきたのは、カーニャクマリから北上してハイダラバードまで向かう列車だった。Sleeper(いわゆる3等寝台)に入ると、早朝にも関わらずハイテンションな人々で溢れていた。空いていた窓側の席に座って、ボーっと外を眺めていると、隣の席で盛り上がっていた団体旅行者に声を掛けられた。彼らはハイダラバードからの旅行者で(なぜか、この旅で会うインド人はハイダラバード出身者がやたらと多い)、カーニャクマリやラーメシュワラム等の南部の聖地を巡って家に帰る途中だという。世間話をしていると時間すぐに経って、コーラムに着いた。彼ら全員と握手をして別れる。やはり、Sleeperの開かれた雰囲気は大好きだ。インドの旅の醍醐味は移動中にあると思う。

コーラムの駅からオートリクシャで船着場へ。コーラムから運河を北上しアレッピー(アラップーザ)まで8時間の船旅となる。船が出発するのは10時半だが、船着場には2時間も前に着いてしまった。とりあえずチケットを買って席を確保する。船内の他に、屋上にも席が設けてあって、そちらは既に半分近く埋まっていた。欧米人はもちろん、インド人旅行者も多かったが、東アジア人は自分一人。屋上には強烈な日差しを避けるための簡易の屋根があるのだが、これがまた、とにかく低くて、屈まないと身動き取ることができない。自分でさえ何回も頭を打ち付けたのだから、大柄な欧米人にとっては苦行そのものだったであろう。とりあえず外側の席を確保し、朝飯を食べに一旦船を出た。

出発の30分も前になるとほぼ満席となり、定刻通り出発する。船はゆっくりと北へ向かう。広大な湖を横切り、地元の人が生活する細い運河を通り抜け、再び湖へ、さらに細い運河へと景色が次々に移り変わっていく。ラクジュアリーな観光客向けのハウスボートから、魚を獲りに意気揚々と川に出る小さな漁船から、住民のための渡し舟まで、さまざまな空間とすれ違いながら、ゆっくりとゆっくりと北へ向かう。地元の子供達も手馴れたもので、旅行者を多く乗せる我々の船が通り過ぎると手を振りながら追いかけてくる。こちらも笑顔で手を振り返す。

喜んで写真を撮りまくる。まあ、そのうちに飽きたのだが、この瞬間この場所でしかこそ収まらない素敵な写真たちでメモリがどんどんと埋まっていった。

船は昼飯にレストランに立ち寄り、さらに3時のおやつに運河沿いの小さな村で休憩をした。少しだけ時間があったのでウロウロしてみると、白・黒・茶が揃って散歩中のカルガモを発見した。後ろから追いかけてみると、3羽仲良く極度にビビリながら茂みの中へと消えていった。

さて、休憩も終わって船が出て、そろそろ本気で飽きてきたころに夕日が運河を美しく染める時間となり、ようやくアレッピーに着いた。船着場にはゲストハウスの客引きがわんさかと待ち受けていて、適当に宿を選んだ。街の外れで多少不便だったが、綺麗で安かったので、まあ満足することにする。とりあえず、夕食を求めて散歩に出かけた。街の中心まで至れば、人通りが物凄い。通りがキラキラの電飾で照らされ、道の両側には屋台が並んでいる。どうやらお祭りだったようだ。わくわくしながら人波を掻き分けて歩くと、とんでもないものを見つけた。

遊園地である。

日本でもお馴染みの、観覧車や、海賊船や、メリーゴーランドや、ぐるぐる回りながら揺れる奴(名前がわからん)等が並んでいて、子供も大人も群がっている。こういうときには、おもしろ遊具を探してしまうのが自分の性。ほら、見つけた。しょぼくれた謎のネズミ型マスコット。どっかで見たような気もするネズミはともかく、隣の青いロボット(?)の表情も味わい深い。

そして、テンションの上がりきった馬鹿な旅行者は、一番スリルのありそうな海賊船に乗り込んだ。

ベルトなんてもちろん無いし、体を支えるのはボロボロに錆びた金属の手すりのみ。乗り込んでからそのやばさを悟ったが、すでに時遅く、ギイギイガタガタと恐怖の音を奏でながら海賊船は前後に揺れ出した。インドのやんちゃな若者は、海賊船が動いている最中に飛び乗ったり飛び降りたりして遊んでいるのだが、とてもそんな余裕はない。年甲斐もなくキャーキャー叫んで、周囲の失笑を買う。

いや、ほんと、心から楽しかったさ。素晴らしいタイミングでこの街を訪れることができたことに感謝、感謝。翌日は、よりローカルな雰囲気を味わうため、再びバックウォーターに繰り出すことにする。

2011年→2012年、インド、ヴァルカラ

 逆三角形をしたインド大陸の先端方向右側に位置するタミルナードゥ州。逆三角形の先端にあたるカーニャクマリを経由して、先端方向左側へ時計回り周るとケーララ州に至る。州境を跨いだだけで、人も食も言語も異なってくる。まるで、別の国になったようだ。この日は、ケーララ州都のトリヴァンドラムを経由し、インド最大のビーチリゾートと言われるコバーラムを華麗にスルーし、その少し北側、静かなビーチが残っていると言われるヴァルカラまで行くことにした。

 さて。カーニャクマリからトリヴァンドラムに行くためにはバスが一般的だと聞いていたので、バックパックを背負ってバスターミナルまで歩いた。カーニャクマリの小さなバスターミナルには英語の表示が一切ない。バスを待っていたインド人に、トリヴァンドラム行きのバスはどこに来るのかを聞いてみた。
 「いやー、何て書いてあるのか読まれへんねんけど」
なんと!
 「わし、デリーから来てんねんけど、タミル語はわからんからなあ」
そう、北と南とが違えば、同じインド人であっても現地語での相互理解はできず、英語でコミュニケーションを取るほかないのである。

 あまりに不安だったので、バスターミナルの裏側のチケット売り場の係員に聞いてみることにした。数人が列を作っていたので最後尾に並んでいると、「トリヴァンドラム行きのバスは扱っていない」という英語の貼り紙を見つけた。冷や汗がたらたらと流れる。先程声をかけた北インド人がふらふらとやって来たので聞いてみたら、「ここにはトリヴァンドラム行きのバスは来ない。マドゥライまで戻れ!」とか無茶苦茶言われる始末。半泣きになり窓口のおやじに聞いてみれば、片言の英語で「待て!ここで待て!」と言っている。どうやら、チケットの取扱はしないがバスは来る、という意味らしい。なんと紛らわしい貼り紙。そして、あの北インド人、適当なことばかり言いやがって…

 その後、しばらく待つ。何台かバスはやってきたので、その都度、運転手や車掌に聞いてはみるが、トリヴァンドラム行きではなく、颯爽と去っていく。やがて、バスターミナルに日本人バックパッカーがやってきた。日本人は地球の歩き方を手にしているのですぐわかる。声をかけたら、彼はトリヴァンドラム経由でコバーラムに向かうとのこと、少し安心する。上海から半年かけて陸路でここまで辿り着いた彼と旅の話で盛り上がっていると、お目当てのバスがやってきた。ようやくトリヴァンドラムに向けて出発である。

 カーニャクマリを出発した時点では、座席の3分の2が埋まった程度だったが、次の大きな街で人が大量に乗り込んできた。超満員の状態のなか、ジェットコースターばりの急加速・急ブレーキで、バスはひたすら北へ向かう。トリヴァンドラムまでは約3時間。

 窓側に座って、ずっと景色を見ていて気付いた。街の中に赤い旗が溢れ返っている。チェ・ゲバラだけでなく、レーニンや毛沢東まで、赤い色が似合う肖像が至極普通に掲げられて、ケーララの日常に溶け込んでいた。後で調べてみてわかったことだが、ケーララ州は世界で初めて選挙により社会主義政権が誕生した土地らしい。その結果、他州よりも資本主義的な発展には取り残されたようだが、教育や医療等のサービスが充実していて、識字率がインドで1番高く、死亡率もこの国においては低い水準にあるそうだ。なかなかに個性的な土地である。

 そしてバスはトリヴァンドラムに着き、日本人の彼と昼飯のチキンカレーを一緒に食べて別れる。ヴァルカラへは、さらにローカルバスを2本乗り継ぐ。1時間半程度で目的地に着いて、リクシャに安宿まで連れて行ってもらった。リゾートなので、街中よりは若干高めの値段だったが、それでも、そこそこ安くて落ち着いた宿をみつけることができた。溜まった洗濯物をじゃぶじゃぶと洗って、日当たりのいいテラスに思いっきり広げて干す。

 散歩に出かけよう。ヴァルカラは切り立った崖のうえに宿や土産物屋やレストランが並び、崖の下に砂浜があるという珍しい地形が売りになっている。リゾートとしてはまだまだ発展途上といった雰囲気で、それが心地よさの理由だったりする。見渡す限り白人ばかり、たまに韓国人の団体とすれ違うくらいで、日本人の姿は全く見かけなかった。コバーラムよりよっぽどいいと思うのだが(いや、コバーラムには行っていないので比較はできないが)、地球の歩き方に載っていないのならしょうがない、か。

 ひとしきり海沿いを散歩したが、どうしても居心地の悪さを感じてしまうので、海とは反対方向へ進んでみる。小さな寺院を見つけたので入ってみれば、男の子と女の子が二人でご飯を食べていた。兄弟だろうか、友達だろうか、恋人だろうか。写真を撮っていいかと聞くと、女の子は恥ずかしそうに、さっと身を隠す。そんな素敵な瞬間をパチリ。

 遠くアラビア海に沈む夕日を眺めながら、今後の旅程を考える。この街にしばらく滞在するという選択肢もあるのだが、どうしても自分はここに居心地の悪さを感じてしまうのである。いや、今まで行ったリゾートと比べれば決して悪くはないのだが、生まれつき苦手なんだから仕方がないよな。結局、明日の朝にここから鉄道でコーラムまで行って、ケーララのお楽しみの一つ、バックウォーターを体験することにした。結果的には、この選択が大正解だった訳だ。

2011年→2012年、インド、カーニャクマリ

 宿をチェックアウトしたとき、外はまだ暗かった。朝の5時半。眠そうに停まっていたリクシャを拾ってマドゥライ郊外のバスターミナルへと向かう。細い路地を縫うように走るリクシャ、しかし、早朝から渋滞に捕まる。バスやトラックだけでなく、大量の荷物を積んだ自転車や手押し車までが細い通りを占拠していた。いったい、こいつらは何時に寝ているんだろうと不思議に思いながら、リクシャから身を乗り出して写真を一枚。

 渋滞をなんとかすり抜け、15分程ひた走ってバスターミナルに着いた。だだっ広いバスターミナルは、さすがに閑散としている。今日はインド大陸の最南端・カーニャクマリに向かうのだ。表示通りに進むと、その場所にバスが1台止まっていたので、バスの車掌に確認をとって乗り込んだ。席だけ確保して一旦バスを降り、近くの売店でドーナツを見つけて購入。もちろんスパイスは効いているのだが、決して嫌な味ではない。温かいチャイと一緒にありがたくいただく。

 座席が半分ほど埋まったところで、南に向けて出発。ローカルバスなので、当然の如く窓は閉まらない。田舎道を爆走するバス。直撃する風。南インドに毛布なんて持ってくるはずもないので、唯一の長袖のパーカーのフードをしっかり被って耐える。日が昇り、ようやく快適になったと思ったら、大きな街に到着して大量の人が乗り込んできた。極端な寒さは極端な暑さに変わり、つい数十分前まで命綱だったパーカーを脱ぎ捨てる。バスはいくつも街を経由して、人を乗せては降ろしながら、南へ南へと向かう。うとうとしていると、車掌から呼び止められた。カーニャクマリ到着である。時間は12時近くになっていた。

 驚いたのは人の多さだ。道の両側には服や鞄を売る店が並び、その間を人が埋め尽くし、けたたましいクラクションを鳴らしながらリクシャが人の波を切り裂いていく。どうにも疲れる街である。街の中心にある寺院の近くで宿を探すが、どこも満室ばかり。たまたま部屋が空いていても請求される値段は法外。ようやく確保できた宿は、街の外れで(とは言っても小さな街なので、中心部まで徒歩5分くらいだが。)、掘っ立て小屋の中に押し込められた湿ったベッドと、構造上閉めることのできない窓。これまでの旅の中でも、間違いなくワーストに近いものだった。

 聖地と聞いていたカーニャクマリだが、ここはインド人にとっての一大観光地なのだ。街の中心にある小さな寺院には参拝客がひっきりなしに訪れ、向かいの島に渡るフェリーには大行列。どこのレストランも満席の状態。中心部から少し離れた地元向けの安食堂でミールスを食べてから、海沿いのガートに出てみた。明らかに家族旅行と思われる身なりのいい人々が沐浴をしているが、厳かな雰囲気は皆無。もちろんサドゥなんかいるわけがない。ガンジス川沿いの聖地が持つような、金持ちも物乞いも、カーストの矛盾ごと全てを丸め込むような包容力はこの地にはなく、沐浴は単なる海水浴と化している。

 繰り返すが、カーニャクマリはインド人にとっての一大観光地なのだ。それなら、それなりの楽しみ方がある。胡散臭い造りの展望台、センスのない彫像が並ぶ公園、しょぼい水族館、開くことのないマジック・シアター。視点を少し変えて、探偵ナイトスクープ的なパラダイスを探し歩くことにした。

 日が傾き出した頃、夕日を眺めるために、再び海沿いのガートに出た。空はどんよりと曇っている。ガートにボーッと腰掛けていると声をかけられた。観光客ではなく、地元の子供達だ。タミル語の会話帳で一生懸命コミュニケーションを取っていたら、いつの間にか写真撮影大会へと変わっていた。結局、夕日は一度も雲から顔を出さないままに沈んでしまったが、なんとなく満たされた気持ちになり、屋台が立ち並ぶ広場を横切って宿に戻った。

 その夜は長い停電があったのでさっさと寝て、朝日を見るために早く起きた。カーニャクマリはインド大陸の先端に位置するため、朝日と夕日が同じ場所から見えるのである。海沿いのガートは、真っ暗なうちから人で埋め尽くされている。自分はと言えば、朝日よりも人間観察の方に興味が向いてしまっている。結局、朝日も厚い雲に隠れて見ることができず、気が付いたらすっかり明るくなっていただけだったが、彼らはたいして落ち込んだ様子も見せず、方々に散っていった。

 おもしろくなかった訳ではないが、長居するような場所ではない。糞宿からバックパックを担いでバスターミナルに向かう。タミルナードゥ州とはしばしのお別れ。旅の進路は北へと変わり、これからケーララ州に入る。

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