2010年→2011年、ビルマ、バガン、その1。

 2010年12月24日のお昼前の出来事である。
 ビルマへの出発は25日の夜0時過ぎの飛行機の、はずだった。当時は、未だかつて体験したことのない忙しさで、数カ月ほとんど休みなく働き続け、ようやくゴールが見えてきたところだった。今日はもうちょっと仕事をして、馴染みの居酒屋で年末の挨拶をして、明日ゆっくり準備をしよう、とか呑気なことを考えている。
 たまたま用事があったので、先輩の弁理士と電話する。夕方からお客さんと打ち合わせがあるようだったので、私も参加しますよと言う。「イドちゃんビルマに行くんじゃなかったっけ?」「何ゆうてるんですか、明日からですよ」「あれ、そうやったかなあ、ほな来てもらおうか」という会話を交わしながら、少しだけ不安がよぎったのでパソコンに入っているE-ticketを開く。25日0時30分発、と確かに書いてある。ん、25日0時30分?今晩やないかっ。
 「・・・もしもーし、もしもーし!」数秒の放心状態の後、電話の向こうの声で我に返った。「やっぱり今晩出発でした!で、で、で、電話切ります!」と一方的に電話を切る。何も準備をしていない。そして出発は数時間後。慌てる。
 とりあえず、家でグウスカ寝ていた嫁を電話で叩き起こし、年内期限の請求書を持って事務所を飛び出し、振込だけすませて家に飛んで帰り、押入れからバックパックを引っ張り出して、ええとLonley Planetと、カメラの充電と、ああお金を下ろしてくるのを忘れてた、と錯乱状態のまま、なんとか準備を終え、バタバタと関空へ向かい、タイ航空に乗り込んだ。

 バンコクで乗り換えた後は1時間程でヤンゴンに着く。予約していた国内線のチケットを空港で受け取り、数時間程待って一気に仏教遺跡が有名な街、バガンまで飛ぶ。バガンに着いた頃はすっかり日も傾いていて、安宿を見つけてそのままぶっ倒れた。激動の1日が終わった。
 バガンは、だだっ広い平野に、ひたすらにパゴダ(仏塔)が乱立する遺跡の街である。翌日、宿で自転車を借りてグルッと回った。パゴダはそれぞれ個性があり、現在進行形の信仰を集めている。冬とはいえ日差しはキツいし、有名な寺院は土産物売りがうるさい。人気のない仏塔でのんびりと過ごすのがよい。

 バガンの夕日は無数のパゴダが赤く照らされる幻想的な光景で有名だが、夕日が綺麗と評判のシュエサンドパゴダは、「(観光客で)スシヅメヨ~」と同じ宿に泊まっていた綺麗なアメリカ人のお姉さん(倉敷市在住)が教えてくれたので行くのをやめた。夕日の時間にたまたまフラリと立ち寄った名前もない仏塔の前で子供たちと遊んでいると、子供たちが「来い来い」と言うので付いて行く。もちろん、何と言っているかはわからないのだが。仏塔ですらない謎の立方体の建物の中に入り、真っ暗な中、狭い階段を登って屋上に至れば、夕焼けに照らされたバガンが一望できる。周囲のパゴダの数はたいして多くもないから迫力がある訳ではないが、何より五月蝿い観光客はもちろん皆無で、ここにいるのは我らと子供たちだけ。心行くまで遊んだ。このビルマへの旅で最高の瞬間。

近況と、キューバで出会った光景

ここしばらく何をしていたかと言えば、年度末~年度始の山のような書類提出〆切に追われていたこともあって、ここを更新するどころではなかったというのもあり、さらに震災と原発事故の情報を追いかけるのに必死だったというのもある。旅のことだけ書いて、アクセス数稼げればいいやと軽い気持ちで立ち上げたブログだけれども、少なくともお気楽に旅行記について書くような精神状態ではなかった。震災直後は仕事も手に着かず、ustreamやニコ生で東電の記者会見を追いかけて、少しでも本当のことに近付こうと躍起になっていた。これは、仕事が遅れた言い訳であり、関係者の方々ご迷惑をおかけしました。ええ、もう大丈夫です。いつものように、毎日毎日泥のように働いていますよ。写真は、年末に行ったビルマ、Baganでの最高の一枚。

さて、で、なんで、このタイミングでブログを更新しようかと思ったかというと、ゴールデンウィークの逃亡先となったキューバにて、そこで遭遇した光景が、いやもう素晴らしかったからである。さあ、これがキューバ版サウンドデモだ!

5月1日のメーデーは社会主義を標榜するキューバでは盛大に祝う。ちょうどその時、Sandiago de Cubaというキューバ東部の都市にいたのだが、ここはキューバ革命発祥の地であり(モンカダやシエラマエストラ等、キューバ革命好きにはお馴染みの地名はこの周辺にある)、尚且つ、黒人奴隷が大事にしてきたアフリカ文化が根強く残る。

あくまでLonely Planetを読む限りでは、同じメーデーでも、首都ハバナの方は、軍事パレードもありつつ整然としたものだと思っていた。たいして期待していなかったのだが、行ってみたらこの勢いで、真夜中から翌日の昼まで踊り狂う老若男女。キューバ各地でこんなことが起こっているのが、Santiago de Cubaだけ特別なのかはわからないが、いろんな人から話を聞く限りでは後者のようだ。これは、本当に運が良かった。

この独特のリズムは「コンガ」と呼ばれるもので、キューバ東部が発祥の地。楽器の「コンガ」は、それが誤って定着したものらしい。トラックの荷台には30名以上の楽器隊が「コンガ」を奏で、それを追いかけて踊り、歌い、騒ぐ。メッセージは様々だが、フィデル・カストロの人気は凄かった。イランに行っても、ビルマに行っても、必ず現体制の批判をする人達と出会ったが、ここではラウール・カストロへの文句は耳にしても、フィデルに対しては賞賛ばかり。50年間愛され続ける指導者というのは世界的に稀だと思う。

いや、もちろん、これはキューバの現体制に守られたお祭りなので、この国でのそれと単純比較ができないことはよくわかっている。世界的にみれば圧倒的マイノリティであるという事情はあるにせよ。でも、心の底から楽しみながら、社会を動かすメッセージを発信することが日常となっていることは、この国は見習わなければならないと思う。

奴らに対して積もり積もった怒りは、しっかりと表明する。行動しないことは黙認することと同じ。でも、せっかく貴重な休みの日に街に出る訳だから、精一杯楽しみましょう。さっきの動画に比べればハードルは山ほどあるかもしれないが、思い思いの音楽や言葉を持ち寄って。

大阪では、6月5日に南堀江公園からスタートするサウンドデモ、6月11日には中之島からスタートする大規模な御堂筋デモ。楽しみにしています。晴れてくれ。

Anti Nukes Sound Demo(6月5日)http://osaka-antinukes.tumblr.com/

大阪御堂筋デモ(6月11日)http://www.kyudan.com/osaka/index.htm

旅行記は、また気が向いたときに書くつもりです。

イラン、おまけ。

相対性理論については、別にここでの説明が不要な程に、いろいろなところ(主にネット界隈)で盛んに議論されているので、今更深く掘り下げるつもりは毛頭ない。個人的には、狙い過ぎな歌詞が、個人的にドンピシャであったのと(四角革命とか、バーモントキッスとかが、革命を目指した時代への捻じ曲げられた愛であるとか)、まあ、要するに単純に音楽として非常に品質が良いため、好んでよく聞いている。

ところで、カシャーンからアブヤーネへのタクシーの車中、お菓子をご馳走になりすっかり打ち解けたドライバーが日本の歌を聴きたいと言ってきた。そのとき手持ちのデジタルプレーヤーに入っていた日本の曲は、トクマルシューゴと、じゃがたらと、相対性理論の「シンクロニシティーン」。その中から1曲選べと言われれば、まあ、この曲しかないだろうということで、私のヘッドフォンを運転席の奴の頭に付けて「パラレルワールド」再生してみた。イントロのキックからノリノリのドライバー。

そして、

サビの「パラレルパラレルパラレルパラレルパラレルパラレルワ~」でスイッチが入り、歌い出す。ろくに英語すらしゃべれないイラン人タクシードライバーが歌う相対性理論の「パラレルワールド」。音楽が国境を越えた瞬間、しかもそれが相対性理論。シュールだ、しかし。しかし、車内は大盛り上がり。

次の日、アブヤーネの現実を知った後でホテルまで迎えに来てもらったときにも、「ハラレルハラレルハラレルワ~」と、繰り返しの回数を若干間違った状態で嬉しそうに歌っていた。おそらく彼は、「パラレルワールド」が日本人なら誰でも知っている有名曲だと思い込んでいることだろう。今後、彼が拾った客で日本人だと見れば、ドヤ顔で相対性理論らしきメロディーを歌い出すだろう。そんな胡散臭いドライバーがいれば、仕込んでしまったのは私です。相対性理論を知っている日本人、しかもイランに来るバックパッカーともなれば、ほとんど該当しないよねえ。

ドヤ顔で歌い出したものの、キョトンとする日本人を見て悲しむ彼の顔を想像すると、ちょっとだけ切ない気持になってくる。いやいや、実際、いい奴だったので、もし彼のタクシーに乗るヒトがいれば、優しく取り扱ってあげていただけることを切に願う。

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