2010年、イラン、ヤズド、その1。

イランの広大な土地の多くを占める砂漠のオアシスであるヤズド。シーラーズからバスで不毛の大地をひたすら走ること6時間。夕方近くに、ヤズド郊外のバスターミナルに着いて空を見上げてみれば、色がひたすらに深かったので、思わずカメラを取り出して写真を撮った。

天高くそびえる2対のミナレットが印象的な(ただ、工事中だったのだよ!なんやねん、この足場。残念!)、マスジェド・ジャーメから歩いて1分のSilk Road Hotelにチェックイン。結果的に、このホテルがこの旅で一番快適だった。部屋を出ればすぐ中庭で、まったりと寛げるのが嬉し過ぎて、ついつい3泊してしまう。砂漠独特の濃ゆい日差しの下、中庭のソファで読書に耽った。まあ、値段は安くはないので、それ相応と言えるのかもしれないが。

ヤズドの旧市街は、街全体が土でできていて数百年前と同じ状態を保っている。イランに来て残念だったことは、思ったよりも近代化が進んでいて昔の街並みが残っていないことだったが、ここでは昔ながらの雰囲気を味わいながら散歩に興じることができる。日が傾くにつれ、土でできた街は色をどんどん深くして、完全に日が沈めば、点々と連なる白熱灯が陰影をつける。写真を撮るのが楽しくて、ここではほんとよく歩いた。

旧市街にはもちろんスークがあり、シーラーズ程の規模はないけれども、そこそこの賑わい。また、おそらくこの地域特有の、天に2本の角を突き出すマスジェド、その青緑色は、土色の街並みと空の深い青色との間で、よく映える。

さらに、この街が素敵なことは、他の街に比べて庶民的な飲食店が多いこと。街の中心にあるアミール・チャグマーグのタキーイェという素敵に個性的な建物の下には、羊の串を店先に並べるケバブの専門店が何軒かあって、指差しで部位を選ぶことができる。羊の腎臓あたりが絶妙に旨い。ああ、これでビールさえ飲めればどれだけ幸せなことだろう・・・。まあ、別にわざわざ店に入る必要もなくて、旧市街を散歩していれば、たまたまそこにいただけの誰かが家のご飯をご馳走してくれるので、何の心配もいらない。

2010年、イラン、シーラーズ。

イスファハーンからバスでさらに南に6時間程走る。イランの古都、シーラーズ。近郊のペルセポリスが紀元前500年からの歴史を持ち、たいへん有名ではあるが、遺跡にはさして興味はないのでそちらには訪れず、相も変わらず街歩きをぷらぷらとしていたのであるが、一大観光地のイスファハーンよりも素朴な田舎の地方都市といった感じで雰囲気がよい。迷路のようなスークを歩いていれば、あちらこちらから声がかかり、写真を撮れ写真を撮れとせがみ、軽い立ち話をして去っていく。人の良さに関しては、この旅で回った街の中でここがベストだった。

マスジェドも、イスファハーンに比べるともちろん小振りにはなるが、花の模様があしらわれているなど、なにかと芸が細かい。また、壁一面ステンドグラスが有名な、ナシ・アル・モルク・モスク。日が入ってくれば美しいとの評判だったので、早起きして行ったのだが、残念ながらこの日は曇りだったのでいまいち迫力に欠けた。

そして、ここでのハイライトは、何と言ってもタマネギ型の聖廟で、中に入れば聖職者の棺が納められているが、異教徒にとっては何よりギラギラに光り輝いた内面に圧倒される。最も大きく歴史の古いシャー・チェラーグ聖廟は写真すら撮れない厳戒態勢だが、その周りの小さな聖廟は異教徒でも立ち入りができる。このタマネギ&ギラギラの聖廟スタイルはこの街でしか見なかったのだが、シーラーズ特有のものなのだろうか。お祈りをしている人がいれば、遊んでいる子供もいる、非常に自由な空間。

夜になればシーラーズ城の周囲で野外チャイハネが開業して、嘘みたいに安い値段で水タバコが吸える。夜の街を徘徊する現地の若者と水タバコを囲んで楽しく談笑しながら夜が更ける。この街でゆっくり2泊した後、砂漠の街、ヤズドに向かった。

2010年、イラン、イスファハーン、その3。

この日は、前日とは打って変わって凄まじい快晴であった。朝も早いうちからいそいそと起き出して、イスファハーンもう一つのハイライトである、マスジェデ・ジャーメへ向かう。昨日見たマスジェデ・エマームを味わってしまうと多少感動は薄らいでしまうものの、それでもこの大きさには圧倒されるし、こちらのマスジェドの方が古めかしくて威厳がある気がした。なんとなく。

さて、マスジェデ・ジャーメから一旦宿に戻ってぷらぷらと近所を散歩する。この日は金曜日でイスラムでは休日。驚くほど律義にどこの店もお休みである。そして、地元のご家族がゴザを広げて至る所でピクニックをしている。イスファハーンには緑のある公園が多いが、その木陰という木陰がゴザで一杯だ。歩いているだけで四方八方のゴザから声がかかる。

そして、散歩の結末として、この日もエマーム広場に至った。

広場の周囲に広がるスークの中にある店はほとんど休みだが(それはもう、観光地であるとかないとかは関係なく!)、その代わり休日だけあってイラン人の旅行者が多い。こちらは、(たぶん)修学旅行中の女子高生。逆ナンされた揚句にジュースを奢ってもらった。日本では死んでもあり得ませんよ、こんなこと。

その後、エマーム広場の片隅でゴザを広げていた、戦禍を逃れてきたらしいアフガニスタン出身のご家族のピクニックに混ぜてもらい、お茶や豆をいただきながら、いろんな話をする。どこから来たのか、なぜイランに来たのか、イランは好きか、どの街に行くのか、アフガニスタンの方が素晴らしいぞ、アフガニスタンをどう思うか、日本ではどんな仕事をしているのか、いつか日本に行きたいです。日常の話、趣味の話、経済の話、政治の話などなど。

アフガニスタン系の方々は、我々と同じく、顔が薄いモンゴロイドなのですぐにわかる。顔の濃いいいぃぃぃペルシャ系の方々に比べ、親近感が沸くことこの上ない。

そして、日が傾くにつれ、マスジェデ・エマームの色も少しずつ変わってくる。青い壁に深い陰影が刻まれ、濃紺の空と真っ白の雲と相まって、異次元のコントラストで目の前に迫る。

アフガニスタン出身のご家族に別れを告げると、辺りはもう真っ暗で、マスジェデ・エマームのみがライトアップされて夜空に浮かび上がっている。この旅で初めて鳴り響くアザーン(※)をまともに聞きながら、夜の礼拝のためにマスジェデ・エマームへと入っていく人達を眺めつつ、この夜も更けていく。そして、翌日は早起きして、バスでシーラーズへと向かう。

※ 意外だったが、イラン国内ではアザーンを大音量で聞く機会にはほとんど恵まれなかった。宗教に関して寛容であったシリアの方がよっぽど喧しく、四六時中街中で鳴り響いていた。そのシリアで知り合った日本人旅行者(中国から陸路で遥々シリアまで)によれば、イランではうるさいという理由で(いや、宗派の違いが一番だけど。)アザーンの回数を減らしており、逆に、イスラム教色が薄いお隣のトルコでは1日5回きっちりと鳴っているそうだ。人間、押しつけられると嫌がるが、押しつけられなければ求めてしまうもの。どこの社会に行ってもこの法則は変わらない。不思議な気もするし、よくよく考えて自分の見に照らしてみれば、まあ、当たり前のことであった。

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