2010年、イラン、イスファハーン、その2。

イスファハーンと言えばエマーム広場である。モスクと王宮とスークに囲まれた広場で、世界遺産でもあり、且つ、ここに住む人々の憩いの場となっている。

エマーム広場の南側にあるのは巨大なマスジェデ・エマーム。恐ろしい程に巨大な門を通り抜け、45℃に折れ曲がった通路を抜けると、4方を巨大なイーワーンに囲まれた空間に至る。あまりにも壮大過ぎて、言葉では表現できないし、カメラには収まりきらないのだが、要は、下の写真のようなサイズの建物に取り囲まれるのだ。バランス感覚が狂わされ、目眩がするのだ。くらくらと。

そして、こちらは広場の東側にあるマスジェデ・シェイフ・ロトフォッラー。マスジェデ・エマームより小振りではあるが、装飾の緻密さでそれを超える。窓から差し込む光に照らされてぼんやりと浮かび上がる装飾を眺めていると、ここでも目眩がする。くらくら。

さらに、広場の西側には、昔の王宮があって、テラスからは広場全体を見渡すことができる。最上階にある音楽ホールでは、壁や天井は楽器の形にくり抜かれた無数の空洞で飾られる。いちいち芸の細かいペルシャ文化。ああ、くらくら。

昼飯をとってしばらくすると突然大雨が降り始め、気温がかなり下がった。広場の周りはスークになっているので雨宿りする場所には困らない。雨が止んだのを見計らってタクシーを拾い、もう一つの見所であるザーヤンデ川に向かう。

大雨が嘘だったみたいに、晴れた。ザーヤンデ川も憩いの場として機能しており、仕事をしているのかなんなのかよくわからない人々が楽しそうに散歩していたり、世間話をしていたり、川を眺めたり。スィオセ橋の下にある貴重な(!)チャイハネで、味の無い緑色の液体に浸かったブヨブヨの麺を食し、次々と話しかけてくる人々とワイワイと世間話をしたり写真を撮り合ったりしていると、夕日の時間になる。

旅をしていて心が一番湧き立つのはこの時間だ。世界中どの街であっても、街が最も美しく見えるのはこの時間だと思う。そして、ここでは、日が沈めば、橋がオレンジ色にライトアップされ幻想的な雰囲気が漂う。砂漠の土地だから、つい数百年前は夜が生活の中心であったはず。きっと、中東の人々は夜の楽しさを知っているし、だからこそ、中東の夜は本当に魅力的である。

2010年、イラン、イスファハーン、その1。

激務の日々をなんとか通り過ぎ、無理矢理仕事を片付けてエミレーツで日本を脱出。イランでは酒は一切飲めないので、飛行機の中でワインの飲み貯めをしていたら、酔いが回ってフラフラのまま眠りに落ち、いつの間にかドバイに着いた。すぐにテヘラン行きの便に乗り換える。ペルシャ湾を縦断した後は、ひたすら赤茶けた大地を北へ進み、3時間でテヘランに至る。

テヘランにはあまり興味はないので、空港からタクシーでイスファハーン行きのバスターミナルへ。次のバスがでるまで2時間程あったけれども特にすることもない。

イランは外で食事するところが極端に少ない。外食文化がなく、レストランにいるのは外国人ばかりだった。バスターミナルでもそれは例外ではなく、これだけ人が集まっているのにレストランが無い。唯一購入できる食事らしきものは、ターミナルを周遊しているサンドイッチ屋だが、固いパンに、薄い肉らしき物を挟んだ物体で、あまりありがたいものではなかった。売店で買った豆を齧ったりしながらバスを待つ。

そして、この国の人々は、外国人とみるやすぐに話しかけてくる。どこから来たのか、なぜイランに来たのか、イランは好きか、どの街に行くのか、イスファハーンは素晴らしいぞ、イランをどう思うか、日本ではどんな仕事をしているのか、いつか日本に行きたいです。日常の話、趣味の話、経済の話、政治の話などなど。入れ替わり立ち替わり話しかけてくるが、人それぞれの考えがあるから全く飽きない。豆を齧りながらバスを待っていると、1つ前のバスを待っていたシラーズに向かう若者に話しかけられた。ペルシャ語の会話帳を開いて、わいわいやっているうちに、あっと言う間にバスの時間になった。

テヘランからイスファハーンまではバスで5時間。バスは、日本のものとまではいかないが、そこそこ快適だし(インドと比べたら、それは、まあ圧倒的に!)、道も綺麗に舗装されている。赤茶けた大地を、ひたすら南へ。途中ドライブインで軽く休憩をとるが、例の如く、かちかちの侘しいサンドイッチしかない。

イスファハーンに着いたのは、夜の9時頃。バックパッカーに有名なアミールキャビールホテルに落ち着き、奇跡的に近所にあったレストランで、この日初めて、ようやく、まともな飯をいただく。この後、飽きるほど食べることになるケバブ+ライスだが、味付けは控え目で、いたって素朴で、美味しくいただいた。そのまま疲れた体を引きずり、宿に戻って就寝。

2010年、イラン、前書き。

イスラムという文化は、突然、自分の中で凄く重要な位置を占めるようになった。それがいつのことだったのかは正確には覚えていない。

学生時代にマレーシアを貧乏旅行したときに、真っ赤な夕焼けと共に街中に響き渡るアザーンに心打たれたのかもしれないし、

中学生の夏休み、まだ下町の雑踏が残るシンガポールでホームステイをしたときに、イスラム街に衝撃を受けたのかもしれないし、

中東問題を知る上で抑圧されている民族として、いつの間にか本能に刷り込まれてしまったのかもしれない。

まあ、とにかく、鮮明なのは、2007年にモロッコを旅行して、イスラム文化の素晴らしさに触れたときのことである。夕闇迫るフナ広場に鳴り響くアザーン、壮大なモスクのドームとミナレット、赤茶けた岩だらけの大地で生きる人々、その人々の懐っこさ優しさと敬虔さ。

モロッコへの旅の後、日本に帰って来ても、モスクを訪れ、アラビア語を学ぼうとしたり(ほとんどはかどっておりませんが)、コーランを読んでみたり、東淀川区の焼却場さえも、ついついモダンなモスクに見えてしまうほどである。

いや、この煙突はミナレットそのものでしょう・・・。ああ、淀川沿いに響くアザーン、それはきっと空耳。

そして、2008年→2009年は、モロッコ以来、念願となっていたシリアを旅した。一大観光地となっているモロッコよりも、イスラム圏の人々の生活をリアルに感じた。そして、シリアで出会う日本人は、その多くが一人旅で、アジアからユーラシア大陸横断を目指している人や、世界中を回った果てにこの国に辿りついた人、彼らと旅の話をしていると「イランに行け」と言う。そして、いつの間にか、イランへの憧れが止まらなくなる。

そして、2010年のゴールデンウィーク、休みを少しだけ早くいただいて、ついに憧れのイランを旅したという次第。行ってみた感想を簡単にまとめれば、思ったよりも洗練されていて、危険を感じることはほとんどなく、モスクの巨大さに圧倒され、そして何より人が素晴らしかった。

詳細は、たぶんこの後。

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