アムリトサル、その2。ヒンドゥー・ワンダーランドに迷い込み、デリーの雑踏に別れを告げる。

DSC_0587

翌日は、なんと早くもインド最終日である。アムリトサルの宿にチェックインしたときに、フロントから出国予定日を聞かれ、正直に答えたら物凄く怪しまれた。そりゃそうだろう。この広いインドにやっとのことで入国し、その翌々日には帰るというのだから。最後の目的地はデリー。一晩ぐっすり眠って体調は回復したので、デリー行きの列車を待つ間にアムリトサルの中心部からリクシャで10分ほどのところにあるマタ寺院に足を運んだ。ラル・デビという実在の女性を祀っていて、子宝に御利益があるそうだ。

DSC_0570

1階は普通の礼拝所だが、2階に上がれば景色は一変する。一方通行の狭い通路が張り巡らされた迷路にありがたいのかなんなのかよくわからない彫刻や絵画が溢れかえったヒンドゥー・ワンダーランド。偶像崇拝が厳格に禁止されるイスラム圏から来ると、あっけらかんとしたヒンドゥーの神様の乱立に面食らってしまうが、その表現力の豊かさに心が踊る。パールパティの艶やかさに目を奪われ、林立するシヴァリンガを掻き分け、腰を屈めてトンネルを抜け1階の礼拝所に戻ってくると、お昼のお祈りの真只中だった。

DSC_0593

DSC_0600

DSC_0601

DSC_0605

この旅で最後の夕刻、アムリトサル発デリー行きのシャタブディ・エクスプレスに乗り込み、そしてデリーに着いたのは深夜。年々電飾がケバケバしくなっていくパハールガンジの目抜き通りを抜け、常宿に腰を下ろした。この宿も、年々設備が充実しているものの、たまたま案内された冷房なしの部屋は場末感を掻き立てるのに十分であり、蒸し暑い部屋で浅い眠りを堪能する。そして、翌朝の飛行機で帰国の途につくのだった。

DSC_0638

DSC_0656

さて、インドの首都・デリーではメトロの建築が進み、ついに2011年エアポート・エクスプレスが完成したというので、さっそく利用してみる。宿の最寄り駅となるラーマクリシュナ・アシュラム・マーグ駅からメトロに飛び乗った。車内はまるで先進国の通勤電車そのもの。一度乗り換えてニューデリー駅へ。ちょうど12年前、切符売り場に殺到する人々を傍目で見ながら、ホームで雑魚寝する者共を乗り越え、うじゃうじゃと連なった長距離列車の中からバラナシ行きの列車を必死に探した「あの」ニューデリー駅ではなく、ちょうどその場所から真っ直ぐ地下に潜ったところに、「別の」新しいニューデリー駅ができていて、気持ち悪いほどに整然としたその駅でチケットを買い、ピカピカのエアポート・エクスプレスに乗り換えた。

DSC_0665

全く気にならない走行音、青く光るLED、的確な車内表示、落ち着いた車内アナウンス。僅か20分であっさりと空港に着く。12年前にこの若造が緊張しながら降り立った「あの」デリーは既にない。旅人のエゴは、そのとき感じた吐き気のするようなデリーの雑踏さえ懐かしく思わせる。でも、どんな旅でも、絶えず変化する街々の、その変化を切り取った貴重な瞬間に立ち会っているのだ。そんなことを考えながら、しぶしぶと帰国の飛行機に乗り込んだのだった。

アムリトサル、その1。国境を越えて、黄金に輝く寺院で迫り来る腹痛。

DSC_0511

スーフィー・ナイトの翌朝、国境を越え、しばらく滞在したパキスタンを離れ、インドへと入国した。昔からインドとパキスタンの関係は非常に悪い。しかし、ラホールから20kmほど東にあるワガという国境の街は、元々一つだった両国の間で唯一人と物とが行き交う場所である。早朝に宿を発ち、リクシャに乗って1時間ほどで国境に着いた。パキスタンの出国手続きのためにイミグレに向かう。面倒臭そうに、しばらく待つよう言い放った職員は、僕らが待っている目の前でずっと暇そうにしている。彼は一向に仕事を始める気配がない。意味もわからず時が過ぎるのを待つ永遠のような30分が終わると、それまで薄暗かった建物の灯りが点き、職員がようやくその重い腰を上げた。お馴染みの停電でコンピュータが動かなかっただけのようだったが、それくらい何かとかならんものか。手続きが終わって建物を出て、インドへの国境を歩いて跨ぐ。さようならパキスタン、また会う日まで。イスラムの紋章をあしらったパキスタンのゲートの向こう側、マハトマ・ガンディーの肖像画が迎えてくれた。こんにちはインド。人生5度目の入国である。

DSC_0451

インド側のイミグレへは待機していたバスで連れて行かれた。荷物の検査とパスポートのチェック。パキスタンから来ると、インド人の働きぶりがまともに見えてしまうから、僕の頭はどうかしているようだ。両替を済ませ、タクシーでアムリトサルの中心部に辿り着いたのは昼の12時を過ぎた頃だった。

DSC_0456

国境の街・アムリトサルは、何と言ってもシク教最大の聖地であるゴールデン・テンプルである。シク教はイスラムの社会思想を取り入れたヒンドゥーの一派として知られているが、ステレオタイプなインド人のイメージであるぐるぐる巻のターバンはシク教徒のことだ。ゴールデン・テンプルでは、シク教に従い髪の毛を隠す布が求められる。寺の周りで売っている10ルピーのオレンジ色の布を買って頭に被る。靴を預けて裸足で回廊を渡り、立派な門をくぐって階段を降りると、黄金の寺院が眩しい日の光を跳ね返しながら湖のど真ん中に堂々と浮いているのだった。

DSC_0495

キラキラと輝く本堂の中では祈りのタブラが止まることなく奏でられ、湖に架かる橋には巡礼者の長蛇の列ができている。それを取り囲む建物には食堂があり、貧富や身分や出自や国籍や宗教までも区別することなく、無料の食事が振る舞われる。熱心な信者が沐浴して祈りを捧げる傍ら、笑顔で記念撮影をする家族連れや、暇そうに座り込んでいる若者など、聖地であるという緊張感はそこには無くて、みな思い思いにのんびり過ごしていた。

DSC_0544

湖沿いを散歩したり、涼しげな礼拝所で意識を失ったり(寝転ぶとさすがに怒られた)、昼過ぎからここでぷらぷらしていても飽きることはなかった。太陽の角度によって本堂は表情を変え、夕方から徐々に暗くなるにつれて輝きを増してくる。ただ、その一方で僕の腹は突然痛み出した。ラホールで食べたマトン・カライは美味しかったけど、物凄く油っこかったのだが、それか、そのせいか。何度もトイレに行き自分の限界を悟る。薄れ行く意識の中、なんとか宿まで歩いて辿り着き、持参した粉ポカリで水分を確保してそのままベッドに倒れ込んだ。アジアの旅のお約束。夜の黄金寺院が全く楽しめていないという悲劇。あんなに輝いていたというのに。

DSC_0560

2011年→2012年、インド、マハーバリプラム

今回の旅のシンガポール航空をチェンナイin / コチoutにしておけばよかったのだが、旅程をあまり考慮に入れておらず、なんとなくチェンナイin / outで購入してしまった。仕方なく朝のフォート・コチを出て、チェンナイまでJet Airwaysで飛ぶことに。その結果、最後の1泊はチェンナイ近郊で過ごすことになったので、最後の最後のお楽しみとして残しておいたのがマハーバリプラム(ママラプラム)という街である。チェンナイのバスターミナルから満員のローカルバスに揺られ約2時間。日が傾きつつある頃、ようやくマハーバリプラムに着いた。

チェンナイは普通の大都会で、あまり興味は持てなかった。それは自分だけではないようで、旅行者のほとんどはマハーバリプラムに向かう。ここは、世界遺産の寺院と、ちょっとしたビーチのある小さな街で、バックパッカー向けの安宿や店が充実している。世界遺産である海岸寺院は実際たいしたことはなさそうだった(だから、遠くから眺めただけだった。)が、街の居心地が素晴らしくよい。この居心地のよさを無理矢理例えるなら、カトマンズを相当小ぢんまりさせたような感じか。日が沈んだ後、恒例となっているらしいダンスフェスティバルを適当に眺めたりしながら、ふらふらと街を歩き、カフェで冷えたフルーツジュースを飲みながら、深夜まで小説を読み耽った。

翌日は、いちおう遺跡でも回ってみる。落ちそうで落ちない巨大な岩「バターボール」が有名。まあ、通過儀礼的なそんなものよりも、ここは街歩きが楽しい。バックパッカー向けの店が並ぶOthavadai Streetからひとつ裏路地に入ってみれば、穏やかな住宅街になる。南国らしいカラフルな彩りの家が並び、抜けるような青空にその壁の色がよく映える。

結局、夕方までフラフラと街を歩き、タクシーで空港に向かった。南インドをぐるりと回ったこの旅。派手な土地ではないので、帰国してから友人に感想を求められても、「ああ、のんびりしてたよ」としか答えられないのだけれど、本当にいい旅って、そういうものだとしみじみ思う。それは、カメラの中に蓄積された笑顔の数が断トツで多いことでもわかる。

Older Posts »