アムリトサル、その2。ヒンドゥー・ワンダーランドに迷い込み、デリーの雑踏に別れを告げる。

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翌日は、なんと早くもインド最終日である。アムリトサルの宿にチェックインしたときに、フロントから出国予定日を聞かれ、正直に答えたら物凄く怪しまれた。そりゃそうだろう。この広いインドにやっとのことで入国し、その翌々日には帰るというのだから。最後の目的地はデリー。一晩ぐっすり眠って体調は回復したので、デリー行きの列車を待つ間にアムリトサルの中心部からリクシャで10分ほどのところにあるマタ寺院に足を運んだ。ラル・デビという実在の女性を祀っていて、子宝に御利益があるそうだ。

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1階は普通の礼拝所だが、2階に上がれば景色は一変する。一方通行の狭い通路が張り巡らされた迷路にありがたいのかなんなのかよくわからない彫刻や絵画が溢れかえったヒンドゥー・ワンダーランド。偶像崇拝が厳格に禁止されるイスラム圏から来ると、あっけらかんとしたヒンドゥーの神様の乱立に面食らってしまうが、その表現力の豊かさに心が踊る。パールパティの艶やかさに目を奪われ、林立するシヴァリンガを掻き分け、腰を屈めてトンネルを抜け1階の礼拝所に戻ってくると、お昼のお祈りの真只中だった。

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この旅で最後の夕刻、アムリトサル発デリー行きのシャタブディ・エクスプレスに乗り込み、そしてデリーに着いたのは深夜。年々電飾がケバケバしくなっていくパハールガンジの目抜き通りを抜け、常宿に腰を下ろした。この宿も、年々設備が充実しているものの、たまたま案内された冷房なしの部屋は場末感を掻き立てるのに十分であり、蒸し暑い部屋で浅い眠りを堪能する。そして、翌朝の飛行機で帰国の途につくのだった。

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さて、インドの首都・デリーではメトロの建築が進み、ついに2011年エアポート・エクスプレスが完成したというので、さっそく利用してみる。宿の最寄り駅となるラーマクリシュナ・アシュラム・マーグ駅からメトロに飛び乗った。車内はまるで先進国の通勤電車そのもの。一度乗り換えてニューデリー駅へ。ちょうど12年前、切符売り場に殺到する人々を傍目で見ながら、ホームで雑魚寝する者共を乗り越え、うじゃうじゃと連なった長距離列車の中からバラナシ行きの列車を必死に探した「あの」ニューデリー駅ではなく、ちょうどその場所から真っ直ぐ地下に潜ったところに、「別の」新しいニューデリー駅ができていて、気持ち悪いほどに整然としたその駅でチケットを買い、ピカピカのエアポート・エクスプレスに乗り換えた。

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全く気にならない走行音、青く光るLED、的確な車内表示、落ち着いた車内アナウンス。僅か20分であっさりと空港に着く。12年前にこの若造が緊張しながら降り立った「あの」デリーは既にない。旅人のエゴは、そのとき感じた吐き気のするようなデリーの雑踏さえ懐かしく思わせる。でも、どんな旅でも、絶えず変化する街々の、その変化を切り取った貴重な瞬間に立ち会っているのだ。そんなことを考えながら、しぶしぶと帰国の飛行機に乗り込んだのだった。

アムリトサル、その1。国境を越えて、黄金に輝く寺院で迫り来る腹痛。

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スーフィー・ナイトの翌朝、国境を越え、しばらく滞在したパキスタンを離れ、インドへと入国した。昔からインドとパキスタンの関係は非常に悪い。しかし、ラホールから20kmほど東にあるワガという国境の街は、元々一つだった両国の間で唯一人と物とが行き交う場所である。早朝に宿を発ち、リクシャに乗って1時間ほどで国境に着いた。パキスタンの出国手続きのためにイミグレに向かう。面倒臭そうに、しばらく待つよう言い放った職員は、僕らが待っている目の前でずっと暇そうにしている。彼は一向に仕事を始める気配がない。意味もわからず時が過ぎるのを待つ永遠のような30分が終わると、それまで薄暗かった建物の灯りが点き、職員がようやくその重い腰を上げた。お馴染みの停電でコンピュータが動かなかっただけのようだったが、それくらい何かとかならんものか。手続きが終わって建物を出て、インドへの国境を歩いて跨ぐ。さようならパキスタン、また会う日まで。イスラムの紋章をあしらったパキスタンのゲートの向こう側、マハトマ・ガンディーの肖像画が迎えてくれた。こんにちはインド。人生5度目の入国である。

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インド側のイミグレへは待機していたバスで連れて行かれた。荷物の検査とパスポートのチェック。パキスタンから来ると、インド人の働きぶりがまともに見えてしまうから、僕の頭はどうかしているようだ。両替を済ませ、タクシーでアムリトサルの中心部に辿り着いたのは昼の12時を過ぎた頃だった。

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国境の街・アムリトサルは、何と言ってもシク教最大の聖地であるゴールデン・テンプルである。シク教はイスラムの社会思想を取り入れたヒンドゥーの一派として知られているが、ステレオタイプなインド人のイメージであるぐるぐる巻のターバンはシク教徒のことだ。ゴールデン・テンプルでは、シク教に従い髪の毛を隠す布が求められる。寺の周りで売っている10ルピーのオレンジ色の布を買って頭に被る。靴を預けて裸足で回廊を渡り、立派な門をくぐって階段を降りると、黄金の寺院が眩しい日の光を跳ね返しながら湖のど真ん中に堂々と浮いているのだった。

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キラキラと輝く本堂の中では祈りのタブラが止まることなく奏でられ、湖に架かる橋には巡礼者の長蛇の列ができている。それを取り囲む建物には食堂があり、貧富や身分や出自や国籍や宗教までも区別することなく、無料の食事が振る舞われる。熱心な信者が沐浴して祈りを捧げる傍ら、笑顔で記念撮影をする家族連れや、暇そうに座り込んでいる若者など、聖地であるという緊張感はそこには無くて、みな思い思いにのんびり過ごしていた。

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湖沿いを散歩したり、涼しげな礼拝所で意識を失ったり(寝転ぶとさすがに怒られた)、昼過ぎからここでぷらぷらしていても飽きることはなかった。太陽の角度によって本堂は表情を変え、夕方から徐々に暗くなるにつれて輝きを増してくる。ただ、その一方で僕の腹は突然痛み出した。ラホールで食べたマトン・カライは美味しかったけど、物凄く油っこかったのだが、それか、そのせいか。何度もトイレに行き自分の限界を悟る。薄れ行く意識の中、なんとか宿まで歩いて辿り着き、持参した粉ポカリで水分を確保してそのままベッドに倒れ込んだ。アジアの旅のお約束。夜の黄金寺院が全く楽しめていないという悲劇。あんなに輝いていたというのに。

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ラホール、その3。スーフィー・ダンスで夜は更けて。

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スーフィーとは、イスラム神秘主義とも呼ばれ、修行を通してアッラーに近づくことを目指す流派である。イスラムにおけるアラーは絶対的だ。アラー以外に神聖な存在を認めないイスラムにおいて、スーフィーとは異端の存在だった。しかし、イスラムが東へ拡大して他の文化を包摂していく中で、さまざまな土地に根付いたアメニズム的な神秘主義との幸せな融合が図られたのがスーフィーであると理解している。特に、パキスタンやインドのスーフィーはヒンドゥーの影響が強くみられる。ラホールの街中では、サドゥーのような格好をしたスーフィーの修行者をよく見かけた。そう、ここはインド亜大陸のスーフィズムの中心地なのだ。わくわくしないわけがない。

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僕らが宿泊したリーガル・インターネット・インは、毎週木曜日の夜にスーフィーの儀式に連れて行ってくれることで有名だった。「スーフィー・ナイト」と彼等は呼ぶ。イスラム暦では金曜日が休日となるので、木曜日の夜は朝までスーフィーのダンスで踊り明かすという。当初の予定では、木曜日にはとっくにインドに抜けているはずだったのだが、同行者が倒れたおかげでラホールに停滞することになり、思いがけず、このスーフィー・ナイトに潜り込むことができた。トルコなどではスーフィー・ダンスは見世物になっているが、ラホールは観光地化が全くされていないこともあり、真に「地」のものを見ることができる。だからこそ、木曜日の夜まで待たなければならないのだ。

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木曜日。時刻は夜の9時。僕らの他にも日本人を含む宿泊客5名と、引率の親父の合計6名でリクシャ2台に別れて乗った。繁華街とは逆方向、真っ暗な道を猛スピードで走るリクシャのライトが切り裂いていく。20~30分は乗っていただろうか。住宅地のど真ん中のようだが、街灯がほとんどないのでよくわからない。怪しい宗教グッズを売る夜店がいくつか並んでいる。昼間の明るい街を行く人々と違い、長髪を垂らした人相の悪そうな奴らがやたらと目立つ。宿の親父は、後ろを振り返ることなく細い階段を登ってモスクに早足で入っていった。慌てて後を着いて行くと、小さなモスクの中庭が会場となり、既に人で埋め尽くされていた。若者から中年がほとんどで、子供もちらほらと見かけるが、見事に男性ばかりだ。親父が後ろの方に場所を見つけ、座って待つように僕らを促す。庭の中心では、長髪に髭の屈強な男性2人が肩から太鼓を下げ、チューニングを行っている。10分ほど待ったあと、2人は、奇妙な形のバチを両手に持って太鼓を打ち鳴らし始めた。すると、別の若者が近寄ってきて物凄い勢いで頭を振り乱す。意識が飛んでトランス状態になっているのだろう。2つの太鼓の音は絡み合いながら独特のうねりを作り上げ、次第に速さを増し、観衆から野太い声が飛ぶ。太鼓のリズムが一息ついたところで、サックスを持った男が現れ、少し間の抜けた音色を奏でて彩りを加える。

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突然照明が落ちた。停電だ。その瞬間、ブーイングなのか歓声か、得体の知れない声が一斉に上がり、興奮と殺気がどんどんと増していくのがわかる。真っ暗闇の中、踊り手は激しく頭を振りながら手足を思い思いに動かし、打ち鳴らされる太鼓のうねりは複雑怪奇に変化していく。

1時間ほど経ち、目が暗闇にすっかり慣れたころ、突然灯りが戻った。灯りが戻っても熱気は冷めることはなく、さらに殺気立つ場内。自らの意志というよりも、内から込み上げる何かに突き動かされているかのように彼等は踊っていた。最初のクライマックスに差し掛かると、長髪の男が両手を広げ、くるくると回り出す。徐々に増す回転のスピードと、それに釣られるように激しさを増すリズム、それぞれが頂点に達したところで寸分の狂いもなくブレイク。決まった。その瞬間、踊り手の彼の意識はもっと大きな何かと一体化していたことだろう。そして、何事もなかったかのように、再びゆっくりと踊り始める。ずっと見ていたい気分だったが、時計を見たらもう日付が変わろうとする頃。変な姿勢で座っていたので腰を痛そうにしていた親父に促されて、しぶしぶ宿に戻ったのだが、スーフィーの夜はようやく火がついたばかり。場内にいた誰一人として、こんな時間にすごすごと帰る外国人なんか気にも留めていないのだった。殺気立つ場内、背後で上がる歓声。ラホールの夜は更け、ダンスは止まらない。

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